イラン・イスラム共和国訪問を終えて
2004年8月16日〜21日まで
 久しぶりで、テヘランを訪問してきました。関西国際空港からドバイに、そこで乗り継いでテヘランにというコースです。ドバイで目立ったのは緑が確実に増え続けていること、経済的にも非常に安定していることでした。
 今回の旅の目的は、アジア・太平洋環境開発フォーラムの最終報告書の取りまとめに向けて、第一回起草会合を開き、お互いの意見のすり合わせをおこなうことでした。
 これ自体の報告は別にきちんと行ないますが、最終の東京会合に向けて着実に方向がまとまりつつあることをご報告できるのは嬉しいことです。
 久しぶりのテヘラン、いろいろな思いを感じてきました。
 今年はイラン革命から25年、王政時代にはこの国は中東随一の親米国といわれていました。
 今この両者の関係は冷え切っています。テヘランの街の中にある旧アメリカ大使館跡地は未だに革命防衛隊の管理下におかれており、その一角は私のような写真好きでもカメラを向けることを躊躇うような雰囲気があります。
 しかしその向かいには結構繁盛している御土産物の店が営業していますし、ところどころで反米スローガンも見ましたが、1992年5月、宮沢総理の特使として始めてこの街を訪れたときのような緊張感は今回感じませんでした。
 依然として女性は人前に出るときへジャズ(スカーフ)の着用は義務付けられていますが、そのスカーフの色彩が豊かなのには驚きました。一人で運転している女性もたくさん見かけましたし、社会的にも女性がどんどん進出しているというのが実感です。
 環境大臣を兼務するマハトマ・エブテカール副大統領もその一人。40歳代半ばと思いますが、アメリカ大使館占拠事件の当事者の一人、当時英会話能力を生かして米国人人質たちとの通訳を務めた人です。もちろんそんな話をしたわけではなく、メソポタミア湿原の回復に対する協力とか、テヘラン市街の大気汚染対策とかもっぱら環境問題に集中しました。
 ローハニさんは旧知の友人、現在国家安全保障最高評議会書記です。イランの核開発にたいするわが国の厳しい姿勢、アザデガン油田の開発についての協力、アフガニスタンにおける麻薬撲滅についての協力、イラクの復興支援について、話題は広範囲に広がりました。
 ラフサンジャニさんは最高指導者諮問機関公益評議会議長、この機関は法案の最終的な判断を行なう権能を有しています。ここでもさまざまな話が出ました。
 特に核の問題に対して、「日本でも原子力の平和利用は行なっているではないか!」と切り込まれ、「このところ日本の第一、第二の電力事業者で原子力発電について問題が起きている。わが国もきわめて厳しい暑さの中だが、電力不足の懸念はあるものの、政府が電力事業者に厳しい対応を求めていることを国民は支持している。」と返事しました。平和利用を必ずイランは突いてくると予想していましたが、やはり突くべきところを突いてくるな,と思った次第です。
 ハタミ大統領は、特にイラク復興支援、先般のバム地震への復旧支援などに触れながら、もっと多くの場面で日本が積極的に貢献すべきだという感じの発言をされました。私自身が携わった日独、日仏、日独仏のイラク復興支援プロジェクト(ホットメッセージのイラク復興支援のための日独仏3カ国協力のその後。イラク問題総理特使 英・仏・独訪問の経緯平成15年12月14日〜18日をご覧下さい)あるいはエジプトと協力して行なったイラク人医師、看護要員のトレーニング(ホットメッセージの日本・アラブ対話フォーラム第二回会合を終えてをご覧下さい)を話したら、相当びっくりされました。
     
 こうしたことは時々ぶつかるケースで、せっかく日本の関係者が努力しながら、PRが出来ていないために折角の貢献がまったく評価されずじまいになってします。PLOに対し、6億ドルを超える支援を日本が行なっていることは、イスラム諸国に対しもっと積極的にPRすべきです。
 初めてこの国を訪れたとき、お酒が飲めなくてだいぶ辛い思いをしましたが、今回は直前、ニューヨーク出張の際、体調を崩し、そのおかげで、お酒を飲めないのがまったく苦になりませんでした。人間、何が幸いするか分からないものです。