「第一回日中水研究会」
2004年10月20日 都市センターホテルにて 


 この度、「第一回日中水研究会」が盛大に開催されますことをお喜び申し上げます。先月私は、UNEP(国連環境計画)笹川環境賞の式典に出席すべく北京を訪れてまいりました。9月の北京と言えば、近代日本の代表的な画家(故梅原隆三郎氏の作品「北京秋天」にも描かれておりますが、本来一年の内で一番すばらしい時期と言われている季節です。しかし今現在の北京には梅原氏の思い描いていた風景はありません。

 今や中国は世界第3位のエネルギー消費国であり、一次エネルギーの約76%が石炭であるためエネルギー抽出の際に発生する硫黄酸化物は日本の排出量の約20倍に相当し、いくつかの都市では既に大気汚染により衛星から都市を観察できない状態にあると伺っております。日本企業の中国依存も環境悪化に拍車をかけ、工業排水の約80%は処理されているものの生活排水の約80%は未処理のまま河川へ排出されており、その結果、約80%の都市が深刻な水質汚染に悩まされております。この現状をお聞きしたとき私は日本中が公害に悩まされていた1960年代末から70年代にかけての日本をふと思い浮かべました。当時は公害列島と言われ、日本各地で多種多様な問題を抱え1970年秋の臨時国会においても「公害国会」と称される程、公害は深刻な最重要課題として取り上げられていました。東京近郊に限定をしてお話をさせていただければ、隅田川や多摩川水系の河川汚染問題等も深刻でありました。当時の多摩川水系では河川付近に中央高速が建設されると同時に住宅・公団建設がラッシュを迎えました。我々は水の資源に恵まれていたために、水質への注意を払う事が遅れました。昭和初期には、鵜飼が盛んに行われ、船頭が川の水を直接コップですくって飲めるほどの清流であった多摩川は工業排水・家庭排水・汚水等により急速に汚染が進行し、そのなかでも下水道工事の遅れは致命的な打撃を与えました。今では地域行政・地域団体・企業等の協力、努力により少しずつではありますが本来の姿を取り戻しつつありますが、しかし未だに代償を払い続けているのも事実であります。

 元来「水を制するものは天下を制する」とは言いますが、江沢民前国家主席は1998年におこりました長江大洪水において人民解放軍との協力の元、被害を迅速に納め、その功績が国家指導者としての地位を更に高められたとの見方もございます。様々な問題もございましたが、今現在の中国政府指導者の環境に対する危機感は非常に高く、先日お会いした唐家セン国務委員もその辺りのことは非常に理解がありました。私が議長を務めております国連「水と衛生に関する諮問委員会」におきましても中国の水問題の専門家の委員会入りを熱望されておりましたし、あらゆる指導者が環境問題、特に「水」問題に関心を、そして危機感を持っておられました。UNEP式典におきまして曽倍炎副首相にもお話をさせて頂きましたが、この地球という星の上に住む全ての人々、そして全ての国家それぞれが私的な利益だとか既得権益であるとか、あるいは将来予測されるであろう利益を譲ってでも、進んで犠牲を払うことが対策実行の鍵なのではないでしょうか。わが日本はかつて我々自身が自然界の浄化力の限界を見誤ったために幾度かの極めて困難な壁に何度もぶつかり、挑戦しそれを乗り越えてまいりました。我々は乗り越える能力を持った、そして挑戦をする意欲を持った国でありました。私自身も今日までそうした思いを忘れる事なく、もち続けながら仕事をしてまいりました。私は他国に我々同様の努力を押し付けるつもりはございません。むしろ我々が失敗をした、そしてその失敗を解決してきたプロセスとそこから導き出されたデータを提供することによって、各国が我々と同じ苦しみを味わわないでいただきたい。そして我々の経験を活かし一歩先を踏み出したところからスタートしていただきたい。その思いで今まで活動をしてまいりました。

 中国へ進出される日本企業の皆様も例えば国内で積極的に推進されている ISO(環境マネージメントに関する国際規格)への積極的な取り組みを現地でも同様に行う事により、中国企業に対し環境保全の重要性を知らしめる1つのモデルとなられることを期待しております。

 最後に日本と中国は一衣帯水の隣国です。中国の水問題を含めた環境問題は我々にとっても重要な課題です。我々には魔法の杖というものはありません。日中両国の皆様が水環境保全へ向けた活発な取り組みと相互交流の場として重要な研究会となりますことをご期待しております。
 
有難うございました。