「水のグローバルガバナンス
 -人間の安全保障の視点-」


2004年9月8日-国連大学にて基調講演-
 海外からご参加をいただきました多くの皆様、そしてご列席の皆様、本日は国際シンポジウム「水のグローバルガバナンス」にご出席いただき、誠に有難う御座います。只今ご紹介いただきましたグローブジャパン会長を努めさせていただいております橋本です。今回はグローブジャパン会長としてだけでなく「国連水と衛生に関する諮問委員会」議長としても基調講演をさせて頂く事を大変光栄に思います。
  まずはじめに先日、ロシア北オセチヤ共和国の学校占拠事件での多数の犠牲者に対し哀悼の意を表します。このような事件が一刻も早くなくなることを願わずにはいられません。またここでも水の必要性が大きく取り上げられました。

 さて、近年異常気象が世界各地で起こっていることは皆様もよくご存知のことでしょう。昨年の夏、アメリカ・ヨーロッパで記録的な猛暑となり、フランスでは猛暑による死者が1万人以上、他のEU諸国でも千人単位で犠牲者が出たことは、私たちを大変驚かせたニュースでした。
 一方、日本では記録的な冷夏となった昨年とは逆に、今夏、東京では気温30度以上の「真夏日」が7月6日から40日間連続し、「真夏日」連続日数の最長記録を更新しました。私が議長を務めておりますアナン事務総長の諮問委員会の第一回会合に出席すべく成田からアメリカに飛び発った7月20日には、観測史上最も高い39度5分を記録し、お隣の千葉県市原市では40度を超えました。世界に目を向ければ、西ヨーロッパでの冷夏、北米での異常乾燥のための深刻な森林火災が続いています。

 暑さだけでなく、日本では洪水にも悩まされた、あるいは今も悩まされていると言った方が適切なのかもしれません。7月には福井県北部や新潟県三条市を中心とした日本海側各地域で豪雨による洪水のため、18名の死者がでるなど甚大な被害が発生しております。また、つい先日、日本を襲った台風16号は、今までにあまり被害を受けたことのなかった地域にも被害を及ぼし、全国で死者12名、行方不明4名の人的被害を出しました。今現在も台風18号の影響が各地で出ています。

 この18号により今年に入ってから日本に上陸した台風は合計7個となり過去最多を記録しました。こういった異常気象の原因の一つに地球温暖化の影響があるのではないかと私は心配しております。
 このように、近年は異常気象の増加とも関連して、水に関わる災害が増えており、水問題にとって災害は決して切り離すことができない問題となっています。洪水、干ばつ、サイクロン等の水に関する災害が、毎年一億人を超える人々に影響を与え、多くの人命や財産を奪い、ひいては社会全体に多大な経済的損失を引き起こしていることは言うまでもありません。また、災害は衛生問題にも密接に関連しています。特に東南アジアや南西アジア地域においては、災害が起こる度に衛生設備が破壊され、水に起因する病気が猛威をふるうケースが頻繁に起こっており、衛生と水に関連する災害も共に考えていかなければならない問題です。水災害を軽減することは、衛生問題の改善や貧困問題の解消につながるものでもあり、持続可能な開発にとって極めて重要なことです。
 「災害と水」と言うことに関しては、別の問題もあります。それは、災害発生時に如何にして安全な水を確保するかということであります。日本は、震災後の水を含めたライフラインの復旧に向けた官民あげての努力等、世界の最先端とも言える災害復旧を数多く経験してきました。
 中でも、1995年の阪神淡路大震災の経験は最たるものでした。神戸を中心とした被災地では、電気、ガス、水道、下水道、電話等のライフラインが壊滅的な被害を受けました。消火用の水さえも確保できず、火災の延焼を食い止めるのに多大な困難をきたしました。いずれの施設の復旧も緊急を要することは言うまでもありませんが、特に被災者への水供給や、水関連施設の復旧は、特に優先しなければなりませんでした。
  来年は阪神大震災が起きてから丁度10年の節目の年を迎えます。
  その震災地でもある神戸において、1月18日から国連防災世界会議が開かれます。この様な自分たちの経験をありのままにお伝えするのが先進国の勤めであり、その上で間違い、失敗の事例を含めて実態を直視し、途上国の方々が同じ失敗を繰り返されることのないように務めるのが我々の役目だと思っております。
 世界では11億人が安全な水を飲むことができず、24億人は基本的な衛生設備が利用できない劣悪な水環境におかれている状況の中、「水と衛生」が世界にとって現在の最も重要な政治課題であることは今更言うまでもありません。国連にとっても喫緊(きっきん)の課題である「水と衛生」に関して、本年3月22日の「国連水の日」に、アナン事務総長が諮問委員会の設置を決め、私は議長就任を依頼されました。その初会合を、7月22日・23日に国連本部においてひらいたわけですが、本諮問委員会のメンバーは、議長の私を含めて19名。
 いずれもアナン事務総長の強い要請を受けて選ばれたメンバーです。初会合は15名で開催しましたが、初会合にも拘わらず、今後の委員会のあり方等について熱烈な議論が展開され、相互理解を深めることが出来ました。委員会では、この委員会が独立した機関として存在し具体的な行動と発言を続けていくことや、水と衛生に関する啓発をおこなっていくこと、そして、水に関するミレニアム開発目標達成の為に取り組むべき10の優先課題などが合意されました。
 また、本諮問委員会の具体的な活動として、テーマ別に「コミットメント」・「動員」・「統合水資源とその他」の3つの作業部会を作りました。「コミットメント」の部会は政治的意志・人権・技術・監視等を含み、「動員」は資金調達、能力開発、連携、官・民セクター等、また、「統合水資源とその他」では災害、統合水資源管理、そして越境水を主なテーマとしています。各作業部会の中で各テーマについて集中的な議論を行い、諮問委員会で最終的に取りまとめをする予定です。

 そして、諮問委員会のメンバーそれぞれが、国連及び国際会議等に対して積極的に提言を行っていく事が提案されました。今後の日程と致しましては、12月の6日〜8日に東京で行われます「統合水資源管理国際会議」に合わせ、12月9日・10日両日に「第二回諮問委員会」及び「第一回作業部会」を予定しております。長期的には2006年にメキシコ合衆国で行われます第4回世界水フォーラムを視野に入れ、今後は議論を深めてまいります。
 水問題はわが国でも深刻な問題です。都市化の進展とともに、河川や水路などを埋めたりし貴重な水面を失ってきました。例を挙げるならば1880年当時、東京23区の水面面積率が10.9%であったのに対し、1994年には5%程度にまで減少しました。昔は東京湾からそよぐ風が、河川を通り都市内部の気温上昇を和らげていたのですが、水面の減少に加え、高層ビルの乱立等の影響を受け熱が滞留し都市部ではヒートアイランド現象を起こすようになりました。水問題解決に向けた様々な取り組みには市民の積極的な参画が不可欠です。
 そうした取り組みのひとつとして、近代日本の誕生以前から(江戸時代)続く市民の知恵である「打ち水」が市民の間に広がりつつあり、ヒートアイランド現象を少しでも緩和しようとしています。この会議にも共催をしております日本水フォーラムに本部を設け、「大江戸打ち水大作戦」なるものが、昨年来、日本各地で展開されています。一斉に打ち水をすると、実際に気温が下がるという結果が得られています。本年は、我々グローブメンバーも参加し、各自がお風呂の残り湯や、雨水、食器の洗った水等を二次利用し、正午に国会議事堂内において、 環境に関心のある学生と、ともに「打ち水」をしました。驚くべき事に、実際に気温が一時的には3.7℃ほど下がり、昔からの生活の知恵に改めて感心させられました。あの「打ち水」をした直後におこる涼風は、本当に心地よいものでした。
 
 感心させられたといえば、8月16日〜21日まで、政府の要請により私はイラン・イスラム共和国を訪れてまいりました。主目的は「アジア太平洋環境開発フォーラム」、通称APFED(アピュフェッド)の議長としてでしたが、その間、ハタミ大統領はじめラフサンジャニ前大統領、エブテカール副大統領兼環境庁長官等数名の政府要人とお会いし、膝をつき合わせてアザデガン油田問題、そして、今話題になっております核疑惑問題等について議論をしてまいりました。政治的な議論の多い中で、一つ私が深い感銘を受けたものがありました。それはカナートと呼ばれる地下水道です。ご存知の方もいらっしゃるのではないかと思われますが、カナートとはイラン・アフガニスタン・中国のトゥルファン盆地などに多く見られる地下水道のことです。
 乾燥地帯では地表に水を流すと大部分が蒸発してしまいますので、それを防ぐ為に地下水道を作っています。これはまさに、「生活の知恵」そのものでありましょう。カナートの起源は古く、紀元前には既にイランに存在していたとお聞きしました。比較的高地の水源から人間の居住地まで水の蒸発を最小限に抑えつつ安定的に水を確保する為に開発されました。政治的な意味での用途もあったのではないかとの説もありますが、長いものでは約80Kmに達するものもあり、建造はもっぱら人力によってであると言われております。
 しかし、そのカナートが、先般イランのケルマン州バム地震によって多くが被害を受けたと聞きました。アフガニスタンにおいては、戦争により多数のカナートが傷つき、荒れ地へと姿を変えてしまいました。
 私はアラブ首長国連邦ドバイ経由でテヘラン入りをしました。途中上空から土漠地帯を手持ちの双眼鏡で目を凝らしながら見ておりましたが、結局最後までカナートを発見する事は出来ませんでした。先人たちの知恵に改めて感心させられながらも、一方で、カナート職人が確保されているのか、カナートの再生が出来るのか、と一抹の不安を感じつつ、私は日本に戻ってまいりました。

 歴史をたどって見ればエジプトはナイルの賜物、アジアに生まれた中国、インド、メソポタミアの文明もいずれも水が生んだものでした。そもそも私たちは母の胎内で水に浮かび、生命は海から陸に上がり、なればこそ水の機嫌を損ねれば、文明は滅びる。
 本日のシンポジウムのテーマは「水のグローバルガバナンス」ですが、ガバナンスと言えば、古来、「水を制するものは天下を制する」の例えのとおり、
戦国時代の日本でも、水を味方につけた戦術が度々出てまいります。わが郷里岡山では、天正10年(1582年)毛利軍最前線である備中高松城が羽柴秀吉の奇策「水攻め」により孤立させられ城主の清水宗治(しみず・むねはる)は自決し備中高松城を明け渡しました。また逆に水を失うことによって、秀吉の息子である秀頼は落城を余儀なくされました。秀頼の居城大阪城は徳川家康により外堀と内堀を完全に埋め立てられ、城は裸城となり豊臣家滅亡へと進んでいく「大坂夏の陣」等、話はつきません。

 また、山梨県には、現在の治水事業の基礎を作り出したといっても過言ではない施設が今に引き継がれています。名称は「信玄堤」。これは名将武田信玄が行った治水事業の一部であり、釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)の合流地点にあります。完成までに約20年の歳月を費やしたといわれる信玄堤は、完成後すでに400年以上たった現在も治水機能を果たしている代表的な事例です。激流を弱めるために御勅使川(みだいがわ)と釜無川(かまなしがわ)の合流地点に16個の巨石を並べわざと崖に流れを当て、下流には粘土の堤防と石を積んだ堤防を作る等、幾重にもわたる仕掛けを駆使して川の氾濫を防いできたそうです。

  さて、水問題に取り組む際に、異なる分野間の調整を含む広い視野での取り組みが、いかに重要であるかというひとつの例をお話ししたいと思います。本日お越しの方々の中で「ラス・ガビオタス」という名をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。数日前に在京のコロンビア大使よりご説明を頂いたばかりですから、まだ独自の調査はしておりませんが、これはコロンビア政府が国を挙げて推進をしているプロジェクトです。8000ヘクタールの広大な土地に植林をすることにより、降水量は年間10%増えたとのことです。そして、降雨量の増加に伴い、250種以上の動植物が戻ってきたとのお話を伺いました。また、プロジェクト開始以前の土壌は酸性度が非常に強く、植物が育ちにくい状態であったのに対し、現在は正常値まで回復をしたともお聞きしました。“麻薬屋”の私と致しましては、緑が回復すると同時に「コカ」の栽培がまた復活するのではないかとの懸念がありましたが、「コカ」は酸性の強い土壌の方が栽培しやすく、回復したこのガビオタスでは栽培しにくいそうです。私と致しましては今後、このガビオタスの事例がどのように推移していくのか、興味を持って注目していきたいと思っております。
 最後に、今後取り組みとして、先日国連関係者との話の中で出た「青の革命」をより進めていきたいと考えております。この「青の革命」は、この後に行われるイアン・カルダー所長の講演タイトルにも挙げられており、人々が安全な飲み水を手に入れられるよう、また、食糧増産や生物、環境のために、土地及び水資源利用を改革しようとするものです。この改革を具現化するために、「水憲章」をつくり、国連に採択するよう働きかけることが、昨年3月京都、滋賀、大阪で開催された第3回世界水フォーラムの分科会「水と国会議員」で採択された「水宣言」には、盛り込まれております。今後、「グローブジャパン」や「国連水と衛生に関する諮問委員会」そして「日本水フォーラム」等とも連携をしつつ「青の改革」に取り組んで参りたいと考えております。
 



 この度の「水のグローバルガバナンス」が成功裏に執り行われることを心から期待いたしております。また中東の砂漠地帯には、「約束は雲、実行は雨」という諺があると伺いました。この議論がこの場で終わるのではなく干からびた大地に恵みの雨を降らす原動力となる事を切に願い、私の話を終わらせて頂きます。ご清聴有難う御座いました。