「農業の役割と人間の安全保障」
第2回 ロバート・マクナマラ・セミナー
「農業、成長、人間の安全保障: 成長と復興に向けた農業と農業研究の役割」
2003年7月2日(水)

橋本 龍太郎 元内閣総理大臣・衆議院議員・グローブジャパン会長
第二回ロバート・S・マクナマラ・セミナーにて
基調講演
ロバート・S・マクナマラ元世界銀行総裁
・国際農業研究協議グループ
(CGIAR)創設者(左)

本日、「第2回ロバート・マクナマラ・セミナー」において基調講演をさせて頂く機会を賜りましたことは、大変な名誉であるとともに大きな喜びでもあります。

マクナマラ氏は、世界銀行の総裁を務めていらした時から、開発のための農業研究の重要性、そして、財政・技術面で農業研究を支援するより大きな枠組みを構築する必要性を認識し、主張されていました。そのリーダーシップの下、世界銀行は1971年の国際農業研究協議グループ(CGIAR)の創設に中心的な役割を果たされたわけであります。マクナマラ氏はCGIARの創設を通して、「緑の革命」を含む多くの農業イニシアティブの触媒役を担ってこられました。本日ここにご出席頂いていることは、それ自体が、農業、研究、開発、そして食糧安全保障を含む人間の安全保障の確立に、氏が現在も多大なご関心をお持ちになり、支援をされているというコミットメントの証だと感じます。

さて、持続可能な開発に向けた課題、特に「水」を巡る様々な問題に対し、日本が国際社会の一員としてどのようなリーダーシップを発揮すべきなのか、私自身の政治家としての長い取り組みの課題でありましたが、この問題は当然のことながら、農業と切っても切れない関係にあります。昨年8月に行われたヨハネスブルグ・サミットにおいて、2015年までに安全な飲み水を入手できない人々や基本的衛生施設を利用できない人々の割合を半減するという「ミレニアム開発目標」を達成することが合意をされました。

その合意を受けて、最初にレビューしようとしたのが本年3月に琵琶湖・淀川水系を舞台にして開催された「第3回世界水フォーラム」です。イラク戦争という横風を浴びた会議でした。しかし、2万4千もの参加者が、そして海外では当初の登録者数よりも多い6千名を越える参加者がありました。そして、ただ単に「何が問題なのか」という議論だけではなく、具体的な行動につなげるための議論がここでは真剣に行われました。その一つの方法として、成功事例と失敗事例の違いがどこにあるのかを見極め、どのような解決策が必要とされているのかを明らかにし、これを軌道に乗せていくための検討を行いました。当初337もあった各分科会の成果は、「私たちのコミットメント」にとりまとめられ、主要テーマごとの「宣言文」は水フォーラムの最後に開かれた閣僚会議にインプットされ、コミュニティを核とした行動が提言されました。この「水フォーラム宣言」は、6月のG8エビアン・サミットにシラク大統領の手によって非常に暖かくつないで頂くことができ、ヨハネスブルグから京都、そしてエビアンへと大変大きな流れを作ることができたと思っております。

水は人類の源であるということは今更申し上げることもありません。 古代文明はまさに大河流域に栄え、人類がその礎を築く上で重要な役割を果たしてきました。しかし、他の自然資源同様、水は無尽蔵ではありません。私は世界の他の国を知っているわけではありません。日本では、水というものが大変豊富であると思われていたのでしょう。例えば、「全ては水に流す」といったことわざが我々の日常会話の中に今も残っています。「湯水のごとく使う」、これもそうです。しかし、もうそんな贅沢な使い方が許される状況ではないということを我々自身が知っています。そして水の問題を考える時、今回水フォーラムで「ボイス・メッセンジャー」による声を世界から集めましたが、貧困、災害、公害、文化、交通、気候変動など、水という一つの切り口で今皆さんの関心のある問題は何かと問いかけた時に、本当にその多様性には驚きました。そして実はその多くが途上国が抱えている問題であるということにも気付きます。それはかつて日本が1950年代から60年代に経験した失敗のいくつかと同じパターンのものもあり、そして先進国に今なおつきつけられている共通の問題もその中にあると気が付きました。我々はそれぞれの国が過去に犯した失敗、その失敗から学んだ知見を隠すのではなく、途上国の方々と共有し、集積していくことが、今後世界各地で同じような過ちを繰り返さないようにするためにも非常に重要であると考えます。

そしてその中で、農業と水が切っても切り離せない関係にあるということは、言うまでもありません。水力発電、上下水道、灌漑、そして排水設備の整備といった水資源管理は、途上国における農業の効率性や食糧生産を向上させ、貧困削減を促進する上で非常に有益であります。世界中で灌漑された土地は農地の約17%にあたるということを教えて頂きました。そしてその17%の地域が、食料の40%を生産しています。今後25年間でこの17%を50%に引き上げることに失敗すれば、世界は深刻な食糧不足に直面すると言われています。さらに、現在既に灌漑されている土地の生産性も倍増しなければ需要に間に合わず、水の効率的な利用が農業や食糧増産のためにも求められています。

先ほど来、「緑の革命」については何人かの方々がお触れになりました。そして、ネリカ米についてもお触れになりましたから、こうした話を長々とするつもりはありません。しかし、ここで皆さんに一緒にお考え頂きたいのは、例えばアフガニスタンで戦闘が始まりましたとき、日本がイニシアティブを取って、アフガニスタン復興のための会議を東京で開催致しました。実はその会議で大事なことが一つ落ちていることに気づき、私はニューヨーク、ワシントンにその後飛んで行きました。世銀にも飛び込み、何とか手伝って欲しいと、イアン・ジョンソン氏に頼んだこともあります。アフガニスタンの復興計画の中で、産業の再建のためには農業はどうしても必要になるのですが、タリバンの時代に破壊してしまった水路、農業用水の管理、この再構築のテーマが復興計画の後ろの方になっていたのです。

私は本当にあわててニューヨークに飛んで行って、優先順位を変えて欲しいと緒方さんにもお願いをし、むしろ優先順位トップではないですかとさえお伝えしました。そして、アフガンの農業を再興しようとするならば、タリバンが破壊した水路をきちんと建て直し、水の管理のやり直しが必要だということを一生懸命に訴えました。しかもこれにはもう一つ問題があり、ヒマラヤからの雪解け水をアフガンだけで使い切ってしまったら、下流のトルクメニスタンやウズベキスタンの農業は壊滅しますし、そしてその使い残りの最後の部分がいまアラル海にわずかに入っている水路であることを考えると、アフガニスタンの農業復興に対する水の位置付けを間違えた途端に、アラル海の消滅の責任を負わなければならなくなる、そんなことだけは避けなければなりません。国際機関を飛び歩きましたが、世銀以外は全くこの問題を計算に入れておらず、大慌てを致しました。そのショックが大きかったのでしょうか、私は東京に帰って来ましてから二日目に、心臓の弁を一つ吹き飛ばしてしまい、救急車で病院に運ばれる騒ぎとなりました。

しかし、ややもすると我々は水を忘れます。今イラクに関する復興問題の中に水が出てきますが、ここで議論されているのは、人々に対する安全で衛生的な水の提供、そこまでです。本当にそれだけでいいのかなと、この点は心配がないわけではありません。しかし、その意味では農民の人々自身が起業家精神を持って、様々な形で自らの声を主張し続けています。数年前にケニヤのジョモ・ケニヤッタ農工大学を訪問する機会がありました。その時、たまたまケニヤ各地から女性の農民リーダー達が参加しておられる公開市民講座が行われていました。彼女達は、それぞれの自分達の村に伝わる古来からの知恵を教え合いをし、ある女性は、他の地域から参加した女性に対して、畝に刈り取った藁を敷いて水分の蒸発を防ぐという自分の村に古くから伝わる農法を教えていました。大規模畑作で農業用水の大半が蒸発してしまう先進国の農家も、この方法を見習えないかと率直にそんな感想を持った次第です。女性リーダー達がこのような公開講座に参加していること自体が、私は女性のエンパワメントとオーナーシップの象徴として、大変感銘を受けました。

なぜなら、私は日本にもそのような時代があったことを知っている世代の一人だからです。第二次世界大戦に日本が敗北したとき、私は小学校二年生でした。東京の水道が破壊されていたのは当然ですが、日本の農村部もまだ水道を引くという意識のない時代でした。しかし戦後の復興期に、とにかく簡易水道を敷設し、それによって主婦と子供が水汲みに費やす時間が短縮され、女性の方は、彼女達のエンパワメントにつながった「台所革命」へそのエネルギーは向かいました。子供達は、初等教育の充実に向かいました。農村社会の発展に起因する国全体の経済成長という道筋は、かつて日本自身が通ってきた道なのです。そして我々の先輩達は、まず何よりもはじめに、全国の焼け跡に学校を建設し、初等教育の再建に努められました。疎開先から東京に帰ってきたとき、私の母校も爆撃を受け、校舎は使い物になりませんでした。卒業する頃には雨漏りのしない教室で授業を受けることができたことを今でも覚えています。そして副次的な効果として、簡易水道が全国的に張り巡らされた結果、公衆衛生が大きく増進を果たすことが出来ました。

このように見てくると、実は我々の今までの経験の中から、様々な方々につないでいけることが沢山あるような気がします。そして、農業開発を通じて人間の安全保障の確立に取り組むために、我々が実行しなければならないことが沢山あるわけですが、その内の一つにこんな協力がお互いの間で出来ないだろうかとそんな夢を持ちながら、本日ここに参りました。実は私はここ数年前から、水の問題と合わせて、寄生虫対策に夢中になっています。そして、最近になってようやく寄生虫に対してGPSを活用するという研究が軌道に乗って参りました。寄生虫には色々ありますが、例えば日本人に馴染みの深い名前で言うならば、ミヤイリガイという貝を媒介とした日本住血吸虫という非常に怖い寄生虫がありました。あるいは、マラリアもそうです。そして、こうした寄生虫が発生する場所には、常にあまり衛生状況が良くない水がいつも漂っていました。初めはそんなことが本当にできるのだろうか、と思い研究を開始しましたが、今フィリピンのミンダナオ島を拠点にして、GPSでその寄生虫対策を実行しようとしておりますが、結構可能性が出てきております。例えばハマダラカが生息するような状況の土地を衛星から写真で撮ったときに、どのような姿で出てくるか、これがある程度確定しました。ミヤイリガイのいるような湿地はどのような姿になるのかが、画像としてある程度確定してきました。これを付き合わせることによって、感染源を突き止める努力が随分楽になりました。

そして、実は農業の中で地球全体の環境という問題から考えると、我々に悩みを与える一つは焼畑農業です。また、焼畑だけではなく、開発がどんどん進むために野生動物の地域から地域への移動のための回廊がどんどん狭くなっております。ちょうど数年前にアフリカを訪ねましたときも、いくつかの国を横断して動物が移動するための緑の回廊の両サイドにビルの建設がどんどん始まり、初めて訪れたときは向こう側もサバンナだったところが、次に訪れた際には向こう側にはビルが見え、その幅が狭くなり始めていることに気が付きました。実はその緑の回廊の源には水があります。そして雨季になれば、そこは豊な水で澄まれる場所です。しかし、平地で係官に話をしても、この問題はなかなか前に進みません。例えばCGIARが他の機関と協力をしながら、こうした衛星写真をGPSをベースにして活用し、それぞれの地域にあるべき、また取るべき対策を助言できるようになったら、一体どういう成果が生まれるのだろうと、実は以前から考え続けておりました。

本日ご出席の方々の中に、恐らくその作者の方のお名前をご存知の方がおられるかと思います。日本の動物文学作家に戸川 幸夫さんという方がおられましたが、戸川さんの初期の作品には、例えば富士山のすそ野にある青木ヶ原樹海に暮らす動物が、やはり緑の回廊を通じて天城の動物群と交流している姿が描かれていました。今、自動車でも新幹線でもあの地域をお通り頂けば分かる通り、回廊は完全に切れております。どんなに天城のイノシシが青樹ヶ原樹海に移動したいと考えても、彼らが通れる道はありません。青木ヶ原のカモシカが天城の方へ抜けようとしても、高速道路で自動車と衝突するのが関の山です。

日本でも実はこの緑の回廊をあちこちで切ってしまったのです。そして、今からこれらを再建しようとしたら、ものすごいエネルギーとコストが必要となります。そのことを考えますと、このCGIARが農業というものを少し広く捉え、野生の自然にまでに広げて頂き、叶うなら林業までカバーして頂くことができれば、すでにアフリカでそろそろ問題になりつつある緑の回廊の保護にも役立てるのではないかと思います。そしてそのためには、GPSを活用した研究が寄生虫の方ではある程度軌道に乗っておりますので、これらと結びつけることはできないだろうかと、今日実はそんな夢を持ちながらこの場に出て参った次第です。

そういう意味で、農業開発を通じで人間の安全保障の確立を求めていこうとするならば、我々が実行しなければならないことは大変多いと考えます。本当に平和と繁栄が約束される地球にしていこうとするならば、各国政府、国際機関、市民社会、民間企業、そして貧しい人々とのパートナーシップの構築が不可欠です。既に58の先進国、開発途上国、民間企業、地域・国際機関が連携し、農業研究における財政支援、技術協力、戦略的方向性を提供しているCGIARの更なる成功を私は最後にお願いをしなければなりません。

そして、マクナマラさん、まだ百歳までには十二年ありますから、どうぞ長生きをして、相変わらず我々を酷使して下さい。今日は本当にありがとうございました。


セミナー参加者と