「日本の公害経験と克服への道」

IDBセミナーにおける基調講演案(2月17日:於メキシコシティー)

 御紹介に預かりました橋本龍太郎でごさいます。フォックス メキシコ大統領閣下、リクティンガー メキシコ環境大臣閣下、イグレシアスIDB総裁、中南米諸国から御来訪の大臣各位、日本からの専門家の方々、並びに御列席の皆々様、日本の経験に御関心を頂戴し、また、お忙しい中、本日のセミナーに御参加賜り、誠にありがとうございます。
 本日からのセミナーの冒頭に当たりまして、私は、日本における環境対策の経験の全体を俯瞰して御紹介申し上げる役割を仰せつかりました。
 日本の経験とは、米国や欧州諸国の影響を受けたことは事実ですが、一方で、大変に独自な道を歩んだものであるとも言えます。それは、日本が、欧米よりも一層急速な経済発展、特に重工業化を進めた国であったことが一つの背景になっていますし、さらに重要なことには、日本は十分なエネルギー資源を持たない国であったため、経済成長過程で国際貿易に依存することが大きかったことも重要なポイントとなっています。また、温暖で湿潤な日本列島の自然、そしてこのような豊かな自然の下に育まれた日本人の自然観、文化意識、さらには社会規範に関する考え方も欧米とは大きく異なります。これらも、日本の環境政策の形成に当たって大きな役割を果たしたと思っています。
 御列席の皆様におかれましては、このように、日本の自然的な条件、そして社会的な背景が欧米とはだいぶ異なるということを念頭に置いていただきながら、あるいは、中南米と日本との思わぬ共通点を御発見いただきながら、いわば、環境保全についての日本モデル、といったものを、このセミナーを通じて御一緒に考えていただければ幸いだと存じます。
 環境に比べますと、経済の方でこそ、これまで日本は有名でした。終身雇用による労働者の高い忠誠心と家族主義的な会社運営、短期的な売り上げ増より長期的な利益の最大化に重点を置く経営者意識、などを特徴とする経済の分野における日本モデル、というものについては、しかし、残念ながら、最近、評価が下がっております。
 評価の失墜には一理ありますが、やや短絡的な評価に過ぎる面もあるように思います。日本は、不況下とはいえ今日なお年間5兆ドル規模の付加価値、GDPを産出する大きな経済であるからですし、そのことに加え、燃料電池車やハイブリッド車、太陽光発電装置、神秘的な生命活動の一層の活用に道を開くバイオ技術、ナノテク技術など、これからの人類社会にとって不可欠の最先端の戦略技術を次々と産み出しておりますからでもあります。
 お気づきのように、日本のこれらの戦略的商品は、実は、環境ビジネスの成果でもあります。最近の日本は、環境を守ることで経済発展を進めよう、という国家の方針を、つとに明確にしてきております。環境の保全は、日本の経済社会の中に全く新しい形で組み込まれようとしています。
 本日のお話は、このような最近の動向に至るまでの大きな流れを大変に駆け足で辿ることになると思います。そのため、私のお話には至らない点が出てくるのではないかと心配しております。しかし、幸い、環境各分野の専門家が日本から多数参加させていただいておりますので、このセミナーの後ほどのプログラムの中で遠慮なく御質問を頂戴し、さらに御理解を深めていただけますよう、お願いをいたしまして、私のお話を始めさせていただきます。

 さて、お話をまず1990年代の初めに戻したい、と存じます。このメキシコからそう遠くはないリオ・デ・ジャネイロにおいて地球サミットが開かれました、その前年であります。
 日本で1971年に創設されました環境庁が、91年にその創設20周年の節目を迎えた際に、私は、大蔵大臣をしておりました。その時、私が、環境庁の事務方に対し、ある分析作業を依頼しました。
 大蔵大臣が、環境庁に作業を発注をするというのはいささか越権的ではあります。しかし、1971年の環境庁創設に当たっては、その母体となった厚生省で政務次官をしていて、その設立作業に携わって以来、私は、環境政策の功罪や環境行政組織のパフォーマンスには常に問題意識を持っておりました。そしてさらに、大蔵大臣として一国の経済運営の舵取りに携わり、また、世界全体の経済的な課題に対して各国の財政責任者と調整しながら取り組んでいく中で、環境問題がいかに経済と関わり合いの深い問題であるかを実感し、それがゆえに、環境政策の在り方についてはますます大きな関心を抱くようになりました。
 例えば、ここ南北アメリカでも、自由貿易協定が結ばれています。その協定の内容に関して国際的な検討が進められていた際に、大きな議論になりました点の一つに環境保護条項がありましたことは、御列席の皆様の御記憶に新しいところだと存じます。今また、WTOの交渉の中で、世界各国、各地域の環境の保全をどう扱うかが問題となってきております。
 このように、環境保全が、経済政策と切っても切れない縁を持ってきたのが、今日の世界です。もっと踏み込んで言えば、地球環境の枠の中で、この枠を壊さずに、人類がどうやって発展していくかの方策を真剣に考察し、実行に移すことが本当に必要になったのが、現在であり、21世紀なのです。私は、このことを、京都議定書に関する国際交渉の中で痛感いたしました。
 1991年の当時に私が抱いた関心も、当時は奇異な関心だったかもしれませんが、今から思えば、そういうことです。つまり、環境行政は、往々問題が発生してからの後追いで始められるが、その経済に与える影響はどうなんだろうか。さらに一般化して申し上げれば、経済発展と環境保全との関係がもっと実証的に分からないと、自信をもった経済政策決定はできないぞ、という思いであります。
 たまたま、私どもの日本は、様々な悲惨な公害を、戦後復興期から経済の高度成長期に掛けて経験いたしました。口の悪い方々からは、「公害のデパート」とさえ言われました。そして、このような苦しみの中で公害規制を一元的に所管する環境庁を作って、分野によっては世界一と言われるほどに規制を強化した歴史を持ちます。こうした経緯を辿った日本各地の具体的な実例を冷静に分析すれば、私の持ったような疑問に答えられるのではないか。もっと申し上げれば、世界の開発政策、経済政策を向上する上で真に役立つ説得的な貢献ができるのではないか、と思い至ったわけであります。しかし、日本の失敗をあからさまにして世界に知らしめるような仕事には、正直、いろいろな抵抗があって当然です。ですから、こうした分析は行われていなかったのです。そこで、無理を承知で、異例ではありますが、環境庁の事務方に対し、私の責任で直接に作業を依頼しました。
 分析の結果は、本日お手元にスペイン語訳されて配られていますレポートに取りまとめられました。レポートがお手元にありますので、多言はいたしませんが、分析の結論は大変明快であります。
 環境対策への出費を惜しんで開発を進めてみても、公害などのシッペ返しを受け、かえって開発は経済的に引き合わないものになってしまうこと、言い換えますと、環境に初期段階から十分に配慮した開発であってこそ経済的にも実りある開発になる、ということです。
 このような結論を、このレポートでは、3つの代表的な開発事例についての分析の結果から導いております。
 3つの事例とは、いずれも、日本が第二次世界大戦の敗戦の結果の焦土から立ち直り、奇跡的な高度経済成長を謳歌する、そのさなかで起こったものであります。今から4、50年以上も前のことであります。分析した事例は、日本の南部、九州の水俣という所にある化学工場からの排水で起こった有機水銀中毒、日本の中央の山岳地帯にある金属精錬所の排水が下流の農業用水を汚染して生じたカドミウム汚染米による公害、そして、同じく日本の中央の太平洋に面した四日市という石油精製を中核としたコンビナートで生じた、硫黄酸化物による喘息であります。日本では、公害はこの他にもたくさん生じましたが、これら3つは特に代表的なもので、いずれも大変に悲惨な公害であります。水俣病では、水銀に汚染された魚を多食した漁師の方々が多数狂い死にしました。生まれながらに脳がマヒした子供さん方も多く生まれ、これらの方々が中年に差し掛かった今なお、多数の方が病院に収容されたままで根治する術がありません。カドミウム汚染では、主に栄養が十分でなかった御婦人方の骨がちょっとしたはずみで簡単に折れました。患者さん達はイタイイタイと泣き叫び、その病名はイタイイタイ病と名付けられました。
 公害の過程で私どもの日本は多くの人命を失いましたし、地域社会は、その痛手から相当の長期間にわたって立ち直れませんでした。それは地域経済を支える企業が、公害の補償のための多額の支出を余儀なくされ、疲れていった、というだけでなく、住民のコミュニティの中に、反目や差別を持ち込みました。7世紀初頭に日本では初めて作られた憲法で、日本という国の理念として語られた、人の「和」、つまり、人々が互いに尊重して生まれるハーモニーを大切にするという伝統的な価値観が、深刻な公害にさらされた地域では決定的に失われてしまいました。
 私自身、このような公害の渦中にあった1960年代後半から70年代の前半、例えば、環境庁設置以前の当時は国の環境行政を預かっていた厚生省の政務次官として、あるいは、国会において、公衆衛生を専門とする議員の一人として、公害への戦いの最前線に身を置き、文字通り最善の努力を重ねましたが、結果として、それでもなおこれだけの公害が起きてしまったことについては、本当に悔やんでも悔やみきれない気持ちで一杯であります。世界のどこでであれ、こうしたことは二度と繰り返していただきたくはありません。
 もとより、人の命には値段は付けられません。しかしそれでは、環境保全の経済的な意味の分析ができなくなりますので、お配りしましたレポートでは、環境を壊した場合に生ずる費用を、あくまで金銭的に支出された限りで計算いたしております。つまり、経済学の理論で言う社会的費用を、汚染原因企業が支払った補償費、あるいは環境補修費という極めて限定的なものだけについて計算した、ということであります。その上で、汚染の源となった企業が、後追いではありましたものの、最終的には汚染を公害がでない水準にまで減らすように対策を進めた過程で実際に負担した金額と比較をいたしました。その結果、例えば水俣病のケースでは、発生源における公害防止費用は、公害の補償費用の100分の1以下となりました。一時期敢えて公害を防がなかった企業は、それで払わずに済ませた費用の100倍もの費用を結局は負担せざるを得なかったのです。これは、実際に払った費用を1年間の費用に直した比較ですが、患者さんへの補償の費用の支払いが今度何十年も続くことを考えると、総額で比較すれば、100倍以上の比率になると思います。詳しくは後ほどレポートをお読みいただきたいと存じますが、環境を無視した経済は、実は、経済では全くないのです。

 このレポートの発表の後、さらに1年間を掛けて、日本の公害経験に関する分析はさらに深められました。
 具体的には、公害対策を開始する時期を仮想的にいろいろ設定をし、経済への影響を見るために、マクロ経済モデルを用いたシミュレーションを行いました。また、深刻な公害発生の洗礼を受け、その後は熱心な環境対策の担い手になった個々の企業へのインタビュー調査も行い、企業の環境対策が成功するための条件を探りました。
 この追加的な分析結果は、本日お配りしているスペイン語版のレポートには含まれておりませんので、折角のこの機会を利用させていただき、結論だけは申し上げたいと存じます。
 第一の結論とは、日本の政策は、公害を後追いし急速に強化された環境対策でしたが、驚くことに、そのマクロ経済への悪影響はまったくなかった、ということです。それは環境対策が、健全な労働力を守ると同時に、新しい市場を生んだからです。しかし、仮に、実際よりももっと早い段階で環境対策が強化されていれば、マクロ経済のパフォーマンスはもっと良かったはずなこと、反対に、環境投資を手控えていれば、甚大な被害が発生し、経済発展は遅れてしまっていただろうこと、も同時に分かりました。
 環境政策は、経済発展政策でもあったのです。
 第二には、熱心に環境対策を行った企業の調査からは、環境政策の成功の条件が見えてきました。それは、企業の自発的な意志はまずもって不可欠ですが、それだけでは環境政策を成功させるには不十分である、ということです。
 進んだ環境対策へ企業が挑戦するのを助ける政策的な配慮ある金融を行うこと、反対に対策を怠る企業に対してはしっかりした規制を行うこと、消費者・需要者たる国民が、環境対策へ取り組む企業に対して市場で確実な支持を与えること、などなど、社会のチームプレーとして環境政策が行われた時に、環境政策は大きな力を発揮するのです。地方自治体の果たす役割も極めて大きなものでした。国の中央政府は、全国共通の規制を行いましたが、日本の環境法制では、地方自治体が、その地域の社会的な条件、あるいは自然的な条件に沿って必要と考えるならば、国が定めた基準よりも厳しい基準を地方議会が定めてもよい、としました。これは、公害で苦しむ中、地方自治体が、それぞれに創意工夫を活かして対策に踏み出していることを尊重し、むしろそれを支援する意味で設けられた規定です。
 環境政策は経済発展に欠かせない政策ですが、以上申し上げましたように、良い経済発展政策を必要とするならば、良い環境政策が必要になる、と付け加えさせていただきたいと考えます。余談ですが、このような分析結果もあって、私が総理大臣の時に方針を決めました中央省庁のリストラクチャリングに際しましては、他の省庁は大胆にスリム化する一方、環境行政は、国の政策の本流の中に位置づけるべく、より大きな環境省にすることとしました。
 余談はさて置き、日本では、今日に至るまで、社会的なチームプレーとして、環境対策が全体として年を追う毎に成長していきました。私は、それぞれの経済社会主体の環境への努力がますます報われるものになるよう、様々な努力が互いに補強し合うポジティブなフィードバックの仕掛けを積極的に作ることが、鍵になる、と言い換えたいと思います。例えば、今日の日本では、企業が環境に対してしっかりと取り組む体制を備えていることを国際的に認めるための仕組みであるISO14001に関して、これに基づく認証を取得した企業数が世界一となっています。さらに、日本では世界で一番多くの企業環境レポートが毎年刊行されています。環境会計という新しい考え方に基づいて計算された企業の会計書類も、世界で一番数多く公表されていると聞きます。このような企業による自己証明がなぜ熱心に行われているかと申しますと、それは、企業が国民の支持を必要としているからです。需要者の側でも、供給サイドの努力に報いるような取組が積極的に行われています。例えば、政府には、その調達する製品やサービスを極力環境保全的なものをするよう義務づける法律があり、この法律に基づき、環境保全型の製品として購入できる製品の性能などが決められ、公表されています。実際にも、このような相互支持的な社会環境を背景にして、たくさんの環境保全型の技術や製品が、冒頭に申し上げましたように生まれ始めています。
 社会的なチームプレーは、先程、「和」という言葉で紹介いたしましたように、日本人の持つ価値意識によく合致するものであります。しかし、これは、日本固有の考えであって世界的な普遍性を持たないか、と言うと、私はそうではないと考えています。日本人が、互いを尊重して、チームワークで問題を解決しよう、と考える傾向については、古代以来の遺伝ではないのです。むしろ、17世紀から19世紀半ばまでに及んだ長い鎖国の歴史の中で、日本人だけの、物質的には閉鎖的な環境の中で私達の先祖は自分達の社会の独自の発展を図っていかなければならず、日本人の間にチームワークの傾向が根付き、さらには補強されたのではないでしょうか。鎖国時代の日本と、地球環境の枠目一杯にまで人類活動が膨らみ、閉鎖的な宇宙船地球号を嫌でも意識せざるを得ない現代の人類社会とは、そっくりな状況にあります。私達がこれから洗練させていくべきは、国境に縛られない人類全体のチームワークであります。

 最後に、私は、お配りしたレポートでは扱い切れなかった、もう少し別の視点、別の問題もあることに対しても皆様が御関心を向けて下さるよう、お願いしたいと存じます。
 それは、非経済的な視点です。発展や開発の問題が論じられる時は、ややもすれば経済的な考察が中心となりますが、人間の問題、自然の問題を扱う物差しは、金銭だけではないということです。先程のレポートの分析の限界もそこにあります。既に申し上げたように、公害で失われた健康や人命は、お金には換えられない、かけがえのないものです。私は、政治家としての経験から、そして、アルピニストの一人としての実感から、人間の尊厳や自然を守るために、今よりもっと多くの経済的資源が投じられて当然だと、実は考えております。
 日本でも、他の国々でも、汚染だけでなく、物言わぬ自然の破壊の問題も深刻です。動物や植物は、私達と同じ地球の乗組員ですが、市場を通じた意思決定には参加できないのです。
 一例を挙げましょう。私達の日本では、戦災からの復興過程で、膨大な木材を必要とし、山の森林を徹底的に伐採しました。もちろん伐採跡地を放置するようなことはいたしませんでして、跡地には、育ちがよく加工しやすい杉などの針葉樹を一生懸命に植えました。日本の森林比率は、こうして、今でも、先進国の中では例外的に高い7割弱を保っています。今日では、こうした戦後の造林の木も育ち盛りを過ぎるくらいに大きくなりました。
 これで良かったのでしょうか。
 そうではありません。経済成長の担い手として、山の若者は都会に出て、山を管理する人はほんの少しになってしまいました。手入れが行き届かず、木は、密植されたままヒョロヒョロと細く伸びて、根は地中浅く張っているだけです。土を肥やす落葉樹の落ち葉もありません。さらに、貿易が盛んになるにつれ、安い海外の木材が入ってきたため、今以上の森林管理にお金は使えなくなっています。緑はありますが、その質が劣ってしまった結果、山地では土砂崩れや鉄砲水が起こりやすくなり、下流では、ダムが土砂で埋まったり、渇水になりやすくなり、海では、魚や貝類の栄養が不足するようになりました。生態系も変わってしまいました。山では、落葉樹林を住みかとした多様な動物たちがいなくなり、あるいは、餌のない山から人の住む里に下りてきて畑を荒らす動物も出てきたと指摘する人もいます。日本では、ようやく事態の深刻さが直視されるようになりました。落葉広葉樹を混ぜた造林が広がるようになり、都市住民や漁民など、下流の人達が森づくりに参加するなどの動きも出てきています。
 農薬や化学肥料による河川や地下水の汚染の問題も顕在化し、これに対しては、水田に鴨を放して雑草を取り除かせるといった農法が試みられ始めました。移入の外来種にも注意が要ります。毒蛇の天敵と思って導入したマングースが、日本固有の野鳥の棲息を脅かしています。ブラックバスは、在来の小魚を補食するので、小魚を原料とした伝統的な食品の製造が困難になっています。日本のある大きな湖では、レジャーで釣ったブラックバスは、湖に返してはならない、といった規制まで始まっています。
 自然生態系の変化は、このように、気づかぬうちに大きな影響を人間に及ぼすようになるのです。日本は、温和で湿潤な気候のお陰で、自然の回復力は極めて強く、その結果、日本人の持つ自然への畏敬の念は大変に強いものです。例えば、日本の国旗が、太陽そのものであることは御承知のとおりです。また、山や森が神様であったり、あるいは、山や川、そして草木が、そのまま仏様の姿だ、といった仏教信仰もあります。日本も地震国であり、地震も日本人の自然観に大きな影響を与えました。先日のメキシコでの地震で被害に遭われた方々には心より同情し、一日も早い復興をお祈りいたします。古来の日本では、うち続く地震や台風が、人間の営みの小ささを人々の心に深く刻みつけていました。そうした考えや経験を通じて、日本では、欧米のように自然を征服するのではなく、それに従って暮らそう、という、ある意味でエコロジカルな生活態度を人々の間に培ったのも事実です。しかし、他方で、豊穣な自然に対する甘えも生みました。自然は人間よりもはるかに大きな存在だから、自分が多少使い過ぎても大丈夫だろう、というわけです。こうした考えは、日本と同様、あるいはそれ以上に豊かな自然を持つ中南米の各国でも、おそらく見られるのではないでしょうか。けれども、自然の恵みは無限ではありません。自然に対する甘えは、将来に大きな惨禍を生じさせる原因になりましょう。
 たまたま私は、今年の3月に日本で開かれる第3回世界水フォーラムに当たって、その受け入れ準備を進める実行委員会の委員長をしております。このフォーラムでは、水資源の衡平で賢明な活用が国際的な平和と安定を築く上での重要な要因になることをも視野に入れて、議論をしようと思っています。また、私は、アジア・太平洋地域のオピニオン・リーダーからなる「アジア・太平洋環境・開発フォーラム」という会議の議長をしており、アジア各地で会合を重ねておりますが、ここでも、自然の法に従って暮らしを立てるアジア古来の生活意識を現代に再生していかなければならない、といった議論が行われております。
 経済発展の副作用から、人の尊厳や自然の環境を守る政策などは、経済政策の物差しでは必ずしも十分には評価できないかもしれません。しかしそれでも、開発政策、発展政策の一部として、しっかりとした位置づけを与えられるべきではないでしょうか。
 開発・発展の問題を論ずると、債務免除などの経済的な応急措置が、ややもすれば焦点となりがちです。しかし、現在の経済勘定は完全ではありません。迂遠なようですが、人類、そして生きとし生ける総ての物を育む母胎である環境との関係の在り方に遡って、長期的、根治的な開発政策、発展政策が検討され、そして実施されていきますよう、心から期待する次第です。その際には、私達は、日本が経済発展の過程で犯した失敗、そしてそれを通じて得た教訓を、あらゆるチャネルを通じ惜しむことなく、諸外国の方々にお伝えする覚悟です。日本は、お陰様で良好な環境を相当程度取り戻しました。水俣病にさいなまれた海辺でもおいしい魚が獲れるようになりました。しかし、今でも、一部の都市公害、見えない微量化学物質による忍び寄る汚染、廃棄物問題、そして地球温暖化対策などに苦闘しています。このセミナーには、国や地方、そして学界などから日本の環境専門家が多数参加しています。どうぞ遠慮なく、その誰にでも質問をして下さい。そして、ここに参集されました皆様方が、中南米における新しい発展の在り方を考える材料として私達の日本の経験を活用していただけるよう、願ってやみません。御承知の通り、ヨーロッパや米国と同じような形の経済発展を、他の国々がそのまま実現していくのでは、地球がいくつあっても足りません。これとは異なるもっと賢い発展戦略が必要です。その立案に、欧米とは違う日本の歩んだ道の良い面も悪い面も、それが少しでもお役に立つなら、私にとってこれに過ぎる喜びはありません。
 御清聴、ありがとうございました。