「日中経済ー貿易・市場変化の発展の方向」
訪中講演
京城倶楽部にて
平成14年10月31日
 
 
「日中経済ー貿易・市場変化の発展の方向」について講演
 

【冒頭挨拶】
本日は、各省及び市政府、あるいは企業グループの幹部の皆様とのこのような交流の機会をいただき、誠にありがとうございます。また、この度、主催の労をお取り下さいました中財集団、津梁集団、中在盛華集団、そして中国女性企業家集団の皆様にも厚く御礼申し上げます。
 本年は、日中国交正常化30周年ということで、両国のより一層緊密な関係を構築していくべき節目の年です。また、中国がWTOに加盟し、国際的な共通ルールの下、国際競争の中に本格的に乗り出した最初の年でもあります。さらに、来月には5年に一度の共産党大会が開催され、中国が姿勢も新たに未来を切り開いていこうという重要な年でもあります。
 こうした中で、主要な地方政府そして企業というそれぞれの現場で陣頭指揮を執っておられる皆様に対して、両国経済の発展の方向についてお話をさせていただくことは、誠に意義深いことであり、私にとりましても大きな喜びであります。

【昨今の中国の目覚ましい発展と日中貿易・投資動向】
 中国の発展・変化の速さには、来訪するたびに目を見張るものがあります。
 78年に改革開放路線が打ち出されて以来、中国の実質GDPの成長率は毎年平均9%以上、ここ数年も7%以上の高い成長を堅持し、目下世界で第6位の経済規模となっております。また、貿易面でも、世界全体の貿易額に占める中国の貿易額は90年には2%であったものが、2001年には5%にまでシェアを拡げるなど、中国経済は世界経済においてその存在感を高めております。
 こうした中、日本にとっての中国の位置づけも、従来にも増して高まっています。
 そもそも中国にとって我が国は第1位の、我が国にとっては中国は第2位の貿易相手国でありますが、近年、我が国の世界全体に対する貿易が低迷する中においても、中国との貿易総額のウェイトは91年の4.1%から2001年には11.6%へと3倍近くにまで拡大しています。特に昨年1年間だけをみても、我が国の貿易は全体では輸出入とも減少する中、中国の市場拡大を背景に、中国との貿易額は過去最高を記録しました。
 減少傾向が続いていた対中直接投資も、WTO加盟に伴う中国市場への企業の期待感等から、昨年は前年度比57%増と大幅な増加に転じました。
 一方、中国にとって日本は、先ほど申し上げましたように最大の貿易相手国であります。その世界全体に占めるシェアは、対中直接投資とともに若干の低下傾向にありますが、これは我が国との関係が薄らいでいるということではなく、むしろ中国が徐々に本格的に世界に開かれていっている証左であるというべきでしょう。

【日中経済関係を振り返る】
 ところで、日中の経済関係を語るに当たっては、こうした量的な面ばかりでなく、質的な面、すなわち両国経済関係の具体的な姿や、両国間の認識の変化についても考えてみる必要があろうかと思います。

【改革開放初期の日中経済関係:70〜80年代】
 日中経済関係が本格化したのは、やはり中国において改革開放が始まった1978年以降のことです。
 79年、大平内閣当時に「中国の現代化を支援する」という目的の下、対中円借款がスタートしました。           
 今回私は日中医薬衛生交流会議の日本側団員の1人として訪中しておりますが、日中友好病院建設の話が具体化したのもこの時です。当時の衛生部長銭信忠先生、その後、ご苦労いただいた陳敏章先生とも随分議論させていただきました。
初期の円借款は、輸出入銀行による資源ローンと相まって、石炭、石油など外貨獲得に直結する資源、及びその移出手段となる鉄道、港湾等の整備に重点的に投入されました。円借款は、世界銀行などの国際機関と並んで、中国の改革開放、特にその初期の経済建設に必要な外貨獲得に大きな貢献をしてきたと考えております。また、その後も環境保全や人材育成など中国の様々な課題に対する経済協力が続けられていることは、ご列席の皆様も御承知のことではないかと思います。
 80年代は日本からの輸入消費財、例えば自動車のトヨタ、家電の松下などが中国市場で活躍した時期でもありました。当時の日本製品は、欧米ブランドに対しても非常に優勢で中国市場に広く受容されたと言っても過言ではありません。
 その背景として、当時の先進国の中で、日本は大いに中国の人々の関心の対象となり、両国関係が特に緊密だったことが挙げられます。例えば、「君よ憤怒の河を渡れ」(中国名「追捕」)、「おしん」(同「阿信」)など、日本製の映画やドラマを通じて現代日本が中国大衆に数多く紹介されたこともありました。
 また、繊維など労働集約的な製品の現地生産・輸入の動きも80年代に始まりました。中国に対する投資も、限定的な動きではありましたが、沿海部の特区などを中心にこの頃開始されました。

【中国市場経済化の深化と国際化:90年代の日中関係】
 90年代に入り、特に92年のケ小平氏の南巡講話や第14回共産党大会で「社会主義市場経済」の考え方が採択されて以降、中国の改革開放が更に加速し、世界中が注目する対中投資ブームがやってきました。
 その過程で、中国経済における日本の比重は相対的に多少低下いたしました。例えば、90年代における日米欧3極の対中投資のシェアを見ると、日本のシェアは90年代初めに3極の半分を占めていたのが、90年代終わりには3分の1にまで低下しています。
 こうした背景には、92年以降日本経済の不振が続く中で、日本企業が大きなリスクを伴うような投資をしにくくなったことがあげられるでしょう。また、日本企業は現地生産・再輸出型の投資に重点を置いていたのに対し、欧米企業は内需開拓型の投資に重点を置く傾向があり、この結果、欧米企業の方が中国市場の将来性に大きく賭け、大々的に進出したの見方もあります。
いずれにしても、今も日米欧3極が拮抗しているわけですが、中国から見れば、90年代は日本だけでなく世界中の主要企業がみな中国にやってくる時代の始まりだったということではないでしょうか。

(対中投資の拡大がもたらした効果)
 このように、日中経済関係は、世界全体から見た比重は低下したとはいえ、これまでの日本からの投資、あるいは日本に対する輸出の増加が、中国経済に大きな効果をもたらしてきたことも事実です。特に投資に関しては、これを通じた技術移転の効果も顕著に現れていると考えます。
 中国では、一部に「日本企業は中国への技術移転に消極的である」といった評価もあるようが、これには同意できません。中国の対外技術導入契約額の国別シェアを示す統計によれば、例えば97年では日本が21%、米国が11%、欧州諸国が30%となっており、我が国企業は、欧米と並んで3強の一角を占めています。

(追われる立場に回った日本)
 日本は90年代半ばまで欧米との貿易摩擦への対応に明け暮れる日々でした。しかし、今度は成長した中国産業から追われる立場になりました。
 日本は過去において、例えば石炭、アルミといった国内産業が輸入の増大により衰退する苦しい産業構造調整の経験を何度かしてきています。しかしながら、アンチ・ダンピングやセーフガードといった通商措置については、過去ほとんど利用してきませんでした。日本経済の成長力が高かった時代には衰退産業からの雇用の移転などが比較的容易だったのが一つの要因です。それにも増して重要なのは、強い輸出産業を擁し大幅な貿易黒字を記録する国が保護主義的通商措置を多用すると、容易に他国の貿易保護主義を誘発してしまい、却って世界の市場全体を縮小させかねない危険性を警戒したためでもあります。
 しかし、日本でも90年代以降、経済の不振が続く中で、WTO加盟国の権利としての通商措置を発動すべきであるとの声が徐々に高まってきています。
 特に、最近の例を挙げますと、本年5月、中国が、米国の鉄鋼セーフガード措置発動を契機として暫定措置を講じておりますが、これについては、我が国のみならず東アジア地域の鉄鋼産業の安定的な発展、更には鉄鋼を利用する中国国内のメーカーの発展を阻害する要因ともなることから、我が国としては強い懸念を有しており、WTO協定との整合性についても疑義があると考えています。また、自動車の輸入割当制度について、中国に対して適切かつ透明な運用を求めているところですし、中国が化学品等を中心にアンチダンピング措置に向けた調査を多用し始めている点についても懸念をしております。

 そもそも日中経済は近接した地理的関係にあり、また、これだけ経済関係が緊密化しているため、容易に貿易摩擦が発生するのは、ある意味で不可避とも言えましょう。ただ、その際大切なのは、こうした経済問題をいたずらに政治問題化することなく、日中双方が話し合いを尽くして問題の深刻化を未然に防ぐとともに、両国が互いに裨益するWin・Winの関係を実現するよう知恵を絞ることでしょう。

【直近の日中経済関係における変化】
 ところで、昨年から今年にかけては、日本と中国との経済関係においていくつかのエポック・メイキングな出来事が起きました。
 第一は、中国が遂にWTO加盟を果たしたことです。

(中国のWTO加盟)
 WTO加盟は中国にとって、改革開放から20余年の成果の積上げと16年間の長きに亘る大変な交渉の結果です。我が国は、この間終始一貫して中国の加盟を支持してきました。私は総理をしておりました1996年から98年にかけて、特にこの問題に高い関心を払っておりました。そして、主要国首脳会議(G7サミット)等の場で、中国の早期加盟実現が必要なことを各国首脳に訴えました。また、97年に訪中した折りには、他の主要国に先駆けて日中二国間交渉で、ものの分野における合意妥結し、他の国の交渉進展を促したつもりであります。そのような個人的記憶のある私としては、ようやく中国の加盟が実現したことは大きな喜びであります。
 我が国が、中国のWTO加盟を支持してきましたのは、ますます経済関係の深まる隣国との間で、貿易投資について共通のルールをきちんと持っておくことが日中双方及び世界各国にとって重要であるからです。また、貿易投資の自由化により日中双方の経済が大きなメリットを得られると期待されたからでもあります。さらに、中国という大きな国の中でも地域間でルールがより共通化され、交易上の障壁を取り払っていくという効果もありましょう。
 WTO加盟が日本企業の中国市場に対する評価に与えたプラスの効果が非常に大きいことは、最近の貿易投資動向を見ても明らかです。日本企業は数年前から「加盟近し」と判断し、それを計算に入れた準備をしてきました。日本経済発展のモデルは経済発展を通じた国民所得の上昇、これを通じた需要拡大、生産拡大です。日本企業はこの拡大のスパイラルの意味を十分実感していますし、中国経済がこうした軌道に乗ることで中国が日本からの輸出市場となり、中国国内での需要に見合った生産拡大が起こることを予想したのです。また、中国の加盟により、従来不安定、不透明であったビジネス環境が安定化し、国内流通が開放されることは、日本企業の年来の強い要望事項であり、これが可能になるとの見通しが多くの企業に新たな対中投資を決断させたのです。したがって、今後こうした企業の決意を裏切るようなことがあれば、中国経済への信頼は損なわれ、中国経済の発展のペースも大幅に鈍ることになるでしょう。
 WTO加盟の大きなメリットとしては、この他に金融サービスや通信・エネルギー分野の開放があります。これに関しては、日本企業への設立許可が欧米企業へのそれに比して少ないとの問題があり、残念ですが、他方、例えば金融は日本企業が早くから中国に進出して市場開放の日を待っていたのに、いざ開放の時がきたときに財務内容の悪化など自国内の問題で欧米と互角に競争できなくなってしまったとの事情もありました。通信・エネルギー・交通の分野でも、技術的には誇れるものがあるのに、中国市場では大きな成果を挙げられずにいるのは、大変残念なことです。
 ただ、取り組みが遅れた分野でも、日本企業の努力は加速しております。将来の経済大国中国には、各産業分野それぞれに各国の主要企業が勢揃いして進出していることがふさわしいと思います。今後の進展を期待したいと思います。
いずれにしても、中国のWTO加盟交渉は長い時間がかかりましたが、それだけの価値のある大成功を治めつつあると思います。特に、経済的な意義だけでなく、21世紀の大国中国が国際社会に合流して、国際社会と共に歩む姿勢が明確になったことは、WTO加盟の大きな意義であろうと思います。

(中国経済脅威論について)
 昨年来の中国経済に関するもう一つの大きな変化は、「中国経済脅威論」が強く叫ばれるようになったことです。
 90年代半ば以降、日本国内企業は、過去にない激しい価格競争に晒され、製造業の構造改革が厳しく求められる状況が生じています。日中貿易は、繊維製品や電機電子機器といった労働集約型産業を中心に「対中進出日系企業向けに材料・部品を日本から中国に輸出し、中国から完成品を日本に輸入する」という委託加工貿易構造を主軸に発展してきました。特に2000年には、繊維製品や機械製品の中国からの輸入がそれぞれ前年比22%、32%と高い伸びを示し、中国からの輸入全体に占める割合も、繊維製品が30%、機械製品が26%で、半分以上を占めるに至っています。
 また、厳しい競争に晒されているのは、労働集約部門だけではありません。現在、我が国の毎年の大卒は約54万人であるのに対して、中国では、毎年同規模の大卒が社会に供給されておりますが、日本の場合は同学年の半分以上が大学等に進学するのに対して、13億の人口を抱える中国の大学進学率は4%程度であり、彼らは非常に厳しい競争環境に置かれています。その賃金が日本の約数分の一であることを見れば、製品開発部門など付加価値のコアになる部分も中国に次第にシフトして行かざるを得ないとさえ言えましょう。
 いわゆる「脅威論」は、こうしたことを背景に拡がったとみることが出来ると思いますが、中国に象徴されるアジア諸国の成長と日本へのキャッチアップにはある意味で不可避な部分があると言えます。

 しかし、中国経済にも多くの悩み事や問題があるのであり、強みと弱みをバランスよく見ることが必要です。翻って、日本経済にも依然として強みはいろいろあり、その強みを活かせるよう、自らの改革を進めることが重要です。最近では発想を転換して、今後の中国は日本の経済活性化にとって欠くべからざる巨大なチャンスであり、脅威論を言っていてもチャンスは掴めない、との見方が拡がってきておりますし、私自身もこうした見方を支持したいと思います。
つまり、20億人を越える東アジア圏全体で域内市場やビジネス環境の一体化を図り、国境を越えた最適な分業体制を構築することで「パイを大きくして分かち合う」ことの重要性が認識されるべきであるということです。

(新たな相互補完関係の模索)
 現在、中国の一人当たりGDPは約900ドルで、欧米や日本に比べて低い水準にあります。この格差を縮めるには長い時間がかかるでしょう。しかしながら、沿海部の大都市を中心に変化が生じています。
 中国においては、大都市を中心とする中高所得層の増加を背景に、自動車の販売が活況を呈し始めております。現在の自動車普及率が都市部でも百世帯当たり0.5台程度に留まることからすれば、今後大きなモータリゼーションの波が来ることに間違いありません。パソコンについても、その普及率は2000年には100人あたり1.6台に留まっていましたが、その需要は急速に拡大しています。本年の中国国内販売台数は1000万台を超え、日本を抜いて、米国に次ぐ世界第2位の市場になると見られています。
 アジアでは、一人当たりGDPが2000ドルを越えると衣料品や化粧品の志向の高級化が始まると言われています。トイレの水洗化などの改善も急速に進むと言われており、実際、中国の都市部においては、ホテル等を中心に日本のトイレタリー製品が需要を大きく伸ばしています。
 こうした中で、日本からの輸出の拡大のみならず、中国国内での販売を志向した投資が拡大していくことが見込まれます。
 また、昨年初めて中国から団体の旅行客に観光ビザが降りるようになりましたが、旅行ブームが到来すれば日本の観光地を目指す人も大きく増えることが期待されます。人の移動が活発化すれば、高度医療の提供を受けるための訪日などということも将来的には出てくるかも知れません。
 他方、需要面のみならず、供給面におきましても、例えば、中国ベンチャー企業と日本企業との先端分野での連携が進みつつあり、また、中国国内の日本語リテラシー労働力を積極的に活用し、ソフトウェア開発やコールセンターといった事業を展開していこうという動きも既に見られています。
 人や資本の流れは、日本から中国に向かうだけはありません。むしろ、中国の企業やビジネスマンが日本に向かうことも活発化することが望まれます。現在、APEC地域内では「ビジネストラベルカード」というマルチビザを発給する制度が構想されておりますが、入国管理の窓口においても専用レーンをおいてビジネスマンの円滑な入国に便宜が図られて行くことになるでしょう。日本も先日のAPEC首脳会合において、この制度への参加を正式に表明したところであり、将来は日中間の人の行き来がもっと簡素化されるでしょう。
 以上のように、双方の得意とする分野へのリソースの選別と集中を進めていくべき時代に入ったというのが私の認識であります。

 なお、先ほどベンチャー企業について触れましたが、新しいビジネスを如何に立ち上げるかという問題は、日中どちらにとっても極めて重要な課題です。我が国においても、例えば、「社団法人ニュービジネス協議会」などが企業家の活動を積極的に支援しており、その成果に大いに期待しているところです。特に、これからの時代、女性企業家の活躍が益々期待されるところです。我が国の経済団体の中で最も女性経営者が多く、ニュービジネス協議会女性経営者会員も多いのが特徴で、「女性経営者委員会」を立ち上げて精力的な活動をされています。この講演会の主催者であります「中国女性企業家集団」の活動にもおそらく通じるものがあろうかと思いましたので、一言お伝えしますとともに、皆様の事業の益々のご発展をお祈りする次第です。

【21世紀の日中経済関係】
 それでは、これから先、21世紀の日中経済関係を更に良好なものとして維持・発展させていくためには、どのようなことを考えて行くべきでしょうか。私は、今日、3つの提案をしたいと思います。
 一つには、約束したルールの履行の徹底、二つ目には、感情に流されない、理性的な二国間関係の維持、そして三つ目には、構造的な諸課題への早期の取組です。

(ガバナンスの向上によるルールの遵守)
 中国経済に対する脅威論から脱却し、中国チャンス論が日本国民の真の共通認識となっていくためには、日本経済の再活性化、そのための日本自身の改革努力が重要であるのは言うまでもありません。一方、今後、日本が産業構造の高度化に努めつつ、中国経済との共生を図り、日中両国間にいわゆるWin・Winの関係を築いていくためには、中国にも是非とも協力していただきたいことがございます。
 それはルールを守るということであり、そのためのいわゆる統治、ガバナンスの向上であります。中国経済の発展を「チャンス」として捉えようとする海外の企業でさえ、時として「脅威」の念を抱くことがあるのは、こうした「市場の公正さ」に対する懸念も影響しているのではないでしょうか。
 世界の人口の5分の1を占め、経済規模でも着実にシェアを高めている中国が国際共通ルールに参画しつつ改革開放を進めていくことは、中国自身にとっても、世界経済にとっても大変大きな意味を持つものです。
中国は、WTOへの加盟を機に、各般の経済政策がWTOに適合するよう多大なる努力を払って法令制度の整備を進めてこられたところであり、そうしたこれまでの努力に心から敬意を表する次第です。今後は、投資ルールの向上も含めて、諸外国との制度のハーモナイゼーションを図っていくとともに、制定されたルールが新たな貿易障壁とならぬよう、常にチェックしていくこと、また制度の一層の透明性の向上が図られていくことを強く要望したいと思います。

 更に重要なのはルールを着実に履行するということです。特に、地方政府においてはその役割は重要です。中国では「中央に政策あり、地方に対策あり」との国民意識があると聞きますが、こうした枠組みは中国の中期的な発展にとって決して好ましいことではありません。こうした観点から、行政の透明化、予測可能性の一層の向上を是非ともお願いしたいと思います。
 中国はWTO加盟で関税の全面的な引き下げとともに、多くの国内規制の撤廃・緩和を約束しました。日本企業はこれが今後数年かけて実現するのを見越して動き出しています。例えば流通等について外資規制が今後3年で撤廃されるのを受けて、本格的な参入を志す企業も出始めており、この加盟議定書の約束がきちんと履行されるように見守ることも我が国の対外経済政策の重要な課題です。
 我が国の中国進出企業に対するアンケート調査によれば、「経営上困っている点」として半数以上の企業が、「税制・法制度の問題」を挙げており、3割強の企業が挙げた生産・品質管理の問題や労務・人事管理問題等を大きく上回っています。
 なかでも、知的財産権の侵害問題が最大の課題の一つといえましょう。
 中国の知的財産権の侵害問題が、日本、米国など外資系企業の投資意欲に悪影響を及ぼすのは当然ですが、本件はそれに留まりません。正に中国内で中国企業自身に被害が多発してきています。さらに、このまま放置すれば、中国自身による技術革新、イノベーションを大いに損なうことになるでしょう。こうした事態を重く受け止め、中国が既に朱鎔基総理の陣頭指揮の下、自らの問題として海賊版・模倣品対策等に多大な取組をされていることは承知しており、一定の評価をしているところです。
 しかしながら、こうした取組にも拘わらず、日本製品を含む海外からの製品について、模倣品が流通するなど知的財産権の侵害は深刻化しています。中国国内での流通の他、第三国に大量に輸出されるなど「量的拡大」及び商標権侵害から意匠権・特許権侵害へと「質的拡大」の一途を辿っているのが現状です。
 とりわけ地方レベルでの摘発不足、模倣放置ともいえる状況は依然として深刻です。両国経済のWin・Winの関係の発展のためにも、地方政府におかれても、摘発・処分等取り締まり強化に向けたなお一層の取組、及び第三国への輸出に対する水際規制強化をお願いする次第です。

(理性的な二国間関係の維持)
 私は先ほど、日中経済がこれだけ緊密化してくると、貿易面での摩擦が生じてくるのは自然なことであると申し上げました。中国がWTOに加盟したことにより、問題が二国間で解決できない場合には、WTOの紛争解決手続きを活用することが可能になった訳ですが、より重要なのは、日頃から対話を通じて、摩擦の火種の早期発見に努めることです。また、双方が国民感情の変動に流されることなく、理性的な対応に努め、これを政治問題化せぬことが肝心です。
 ところで、30年前に国交正常化が果たされて以来、80年代に至るまで日中双方とも多くの人が相手側に対して良い印象を抱いてきました。特に、80年代にはこうしたムードが大いに高まり、日本政府の調査によれば、80年代には70%の日本人が「中国に親しみを持つ」と答えています。しかしながら、80年代末以降、こうした状況に変化が生じ、2000年には「中国に親しみを持つ」と答えた日本人は48%と過半数を割り、一方、80年代20%程度に留まっていた「親しみを持たない」とする人の割合が、その後増加し、2000年には48%と「親しみを持つ」者と同率にまでなってしまいました。
 この背景には、歴史認識を巡る問題などがあると見られますが、この数字についても我々自身、冷静に捉える必要があります。
 72年、国交正常化の年の両国の人の行き来は、延べで僅か9千人、80年代で最も多かった年でも70万人程度でした。これに対して、昨年1年間に両国を行き来した延べ人数は277万人に達しています。両国の関係は、「好き嫌い」という感情的な付き合いに留まる関係から、90年代以降は感情を越えて、より現実的なものに変わったというべきでしょう。他方、双方の行き来が増えたとはいえ、国民レベルでの交流は依然として低レベルに留まり、日中間の国民感情がともすればその時々の事件やそれに起因する両国政府の姿勢に左右されているのではないでしょうか。双方が等身大の日本、中国それぞれを自分の眼で確かめることが必要でしょう。
 両国は、そもそも異なった歴史を歩み、現在も異なった体制を有しておりますので、当然のことながらお互いに相手に対する不満もありましょう。しかしながら、過度の批判は日中が「平和で共に繁栄した21世紀」を築くことには貢献しません。
 私自身、以前からこうした思いを強く抱いておりました。1989年の天安門事件直後のアルシュ・サミットで閣僚レベルの中国訪問の自粛を決定して以降、最初の現職経済関係閣僚として中国を訪問し、腹を割って大いに話し合い、問題の解決の糸口を探したのは、大蔵大臣としての私の役割でした。
 私自身としても、これからも同じ精神で中国との関係に臨みたいと考えておりますが、摩擦の火種が更に増えていくであろう両国経済関係について、双方が国民感情の変動に流されることなく理性的に対応していくためには、両国間のパイプの維持・強化が必要です。特に、次代を担う若手の交流を様々な形で進展させていくことが大切でしょう。

(中国が抱える問題への早期の対応)
両国経済が共に繁栄を持続していくためには、双方がそれぞれの抱える構造的な問題に真剣かつ早期に取り組み、健全な成長を達成していくことが前提条件となります。
 我が国では、不良債権問題とデフレ問題と並んで、産業空洞化に対する強い懸念がありますが、こうした懸念を払拭するには、構造改革を推進して日本経済の活性化を実現することが最も基本的な施策であるといえましょう。そのためにも、経済活動のグローバル化が進み、少子高齢化が進行する中で、如何に対外経済政策と国内経済政策を一体として戦略的に講じていくかが鍵となると考えています。
 一方、中国においても、現在の順調な成長を持続的なものとしていくためには、従来にも増して積極的に取り組んでいただかなくてはならない課題があろうかと思います。国有企業の改革、不良債権問題の抜本的解決はもとより、資本勘定の自由化・為替政策などの問題、放っておいては遠からず経済成長に対する制約要因ともなってくる環境制約及びエネルギー制約への対応、地域間あるいは個人の所得格差の是正などが避けては通れない問題でしょう。また、純粋な経済問題ではありませんが、より根本的な腐敗の問題に取り組むことも必要です。
 こうしたリスクは、海外からの投資の阻害要因にもなりますし、また、解決には様々な痛みを伴うことから、基礎体力が旺盛な今のうちから積極的に取り組んでいただきたいと考えます。
 現在、中国が直面しているこうした問題は、いずれも大変難しい問題であり、中国自身が取り組むべきものですが、日本も60年代以降直面してきた問題に類するものとも言えます。当時は欧米の先進事例も参考にし、あるいは独自の解決策を探りながら、試行錯誤の末問題を乗り越えて参りました。こうした日本の試行錯誤の経験が中国の取組に参考になることもあるでしょう。変化の速度が早まっている今日、難しい舵取りではありますが、是非とも積極的に取り組んで行かれることをお願いしたいと思います。

【結び】
 最後に、アジア地域の二大エコノミーである日中両国は、他の地域経済に及ぼす影響力の大きさに鑑みても、互いに協調しつつ、健全な成長を実現し、この地域の経済を主導するとの重要な役割を担っているのだということを、改めて申し上げたいと思います。
 まだ、日中の新たな交流が始まったばかりの30年前、周恩来総理は次のように申されました。「仮に永遠に日本が工業国、中国が農業国のままであれば、両国関係はよくはならないだろう。・・・中国と日本の双方がともに工業化を実現できてこそ、平和共存、共同の反映を実現できる。」
 日中両国が、脅威論を乗り越え、大きな経済的なポテンシャルを最大限に引き出し合い、東アジア、ひいては世界全体の厚生(ウェルフェア)の拡大に資することを祈念し、又、そのためにご列席の皆様にこれからも大いに指導力を発揮していただくことをお願いしつつ、私の講演を終えたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。