「水との共存」
ウブントゥ村日本パビリオンにて
平成14年8月29日
 
橋本龍太郎元総理・グローブジャパン会長
第三回世界水フォーラム国内運営委員会会長
写真
 
photo (序)
 ヘリコプターの上から、私は延々と続く赤い大地の向こうに広がる地平線に目を凝らし、このまったく水のない大地に人々を追いやった政権と言うものが、何故、それまでに人間の尊厳を奪おうとしていたのだろう?逆に今、その土地に水を引くという具体的行動が人々に希望を与え、『虹の国』にかならず明日への夢をもたらすに違いない、人間性に対する希望と絶望のない交ぜになった本当に複雑な思いに囚われていました。今から三年半前、プレトリアから東に百キロ、クワ・ンデベレ給水計画の一環としてクワ・ムランガ村に日本の協力で作った水道の完成式典にムベキ副大統領(当時)と共に出席させていただいたときのことです。
 エジプトはナイルの賜物、アジアに生まれた中国、インド、メソポタミアの文明もいずれも水が生んだものでした。そもそも私たちは母の胎内で水に浮かび、生命は海から陸に上がり、なればこそ水の機嫌を損ねれば文明は滅びる。灌漑に栄え、灌漑がもたらした塩害に滅んだシュメールの事例はよく知られていることですし、ここアフリカ大陸のバンツー民族の大移動が緑なすサハラ地方に雨が降らなくなってきたことも忘れてはなりますまい。
 南アフリカの人々が言う『アマンズィ・アインピロ(水は命、amanzi-ayimpilo)』、そのようなことを念頭におきながら、水についての私の考え方を申し上げたく存じます。

1.水と生活、人と技術
((1)水の多様性と脆弱性)
 人は水なくしては生活できませんが、しかし人を通過した水は汚れ、また水も他の資源と同様に無尽蔵ではありません。地球に生きる人類が引き続き繁栄を享受しようとするならば、資源としての水、尊厳ある人生を全うするための水、そして人間の叡知を活用すべき場としての水について、問題意識を分かち合い、知恵を絞り、そして具体的行動を起こさなければなりません。『持続的開発の世界サミット』の機会にコフィ・アナン国連事務総長が水を重要課題の一つに揚げられたことに敬意を表します。
 さて、水に関する諸問題に取り組むためには、何よりも水がどういう状態にあるのか、また世界の人々がそれにどのように取り組んでいるのか、事実関係を把握する必要があります。技術的には、今日の世界では情報通信技術を活用した情報ネットワークを作ることは可能ですから、それを具体化するような知恵を考え出さねばなりません。その際、NGO、企業、国際機関、国際河川や湖沼の流域国等のパートナーシップを推進することが重要であります。マルデル・プラタ、ダブリン、リオ、マラケシュ、ハーグ、ボン、多くの会議が開かれ、水について世界的規模でゆっくりではありますが、共通の認識が深まってきたように思います。
 しかし、水の実態はあまりに多様です。私は一昨日、日本を発って東シナ海、南シナ海、そしてインド洋という水の上を二十時間も飛んで参りました。その沿岸地方の多くは、時として多すぎる水とともに人間が生きるモンスーン地帯だなと思いながら、昼の碧い海、夜の漆黒の海を見つめておりました。モンスーン地帯にある多くの国では、水田や棚田という、洪水コントロールと水効率を両立させた技術に加えて水を巡る権利が長い年月をかけて生まれそして定着しましたが、しかしその前提となっていた上流地方の豊かな森が切られた途端に、押し寄せる洪水との戦いを強いられる地方ともなりました。
 何年か前に、アフリカ上空を北から南、或いは東から西へと飛ぶ機会もありましたが、この大陸の多様性には驚かされました。サハラ上空と森林地帯の上空では空の色まで違い、片や飛行機の周りは薄茶色、片や青色に染まります。この人類が誕生した大陸には、水に恵まれた地方もあれば、女の子が一日平均六時間も歩いてたった三杯のバケツの水しか手に入れることができない地方もあります。乾燥地は年々広がり、人の営みとともにその速度は加速されています。
 人の営みといえば、滅ぼされた文明が滅ぼした側よりはるかに進んだ水の技術を持っていた例もあります。例えばインカ文明の灌漑施設は驚くほど精緻なものでした。紀元前千年頃生まれたチャビン・デ・ワンタル文明は水路の能率という観点から見ると九キロで一センチの高低差という精緻さを誇り、またその頃クンベマーヨという高度3550メートルの場所でアンデス山脈にトンネルを掘って灌漑水路を開き、今日でもカハマルカ盆地の農耕に役に立っています。ちなみにこれは世界最古のトンネル水路です。今はすっかり砂漠化しているペルーの太平洋岸に、インカの時代には精緻な灌漑ネットワークがあったことも発掘調査の結果明らかになりました。こうしたことは、まさに人は水とともに生き、水もまた人とともに生きているということを示しているのではないでしょうか。
 水は脆弱なものでもあります。山登りが好きな私は、ヒマラヤも好きでネパールにはたびたび参りますが、ヒマラヤの氷河は、わずか数年ぶりに見てもはっきりと人間の目に分かるほどのスピードで後退しています。とけた氷河の水が山の上で湖となり、このようにして出来た湖が決壊した場合には治水の準備のない下流の村々に洪水で被害を及ぼしています。ヨーロッパ・アルプスでも同様に氷河の急速な後退という現象が起きていますが、一代の人間の生という、自然界にあっては比較的短い時間のうちにこうしたことが厳然と起きていることの意味を、科学者も、消費者も、生産者も、為政者も、有権者も、考えるべき時が来ていると思います。

((2)水と人間をどう捉えるか)
 さて、このように多様な水をどう捉えるかについてはいろいろ論じられてきましたが、ヨハネスブルグ・サミットが持続的開発をテーマにして、開発と環境双方の目的を追求するという命題を持っているので、今日は人間の営みと自然の力という切り口からお話させていただきたいと思います。
 人は水とおつきあいするようになってから、次第に知恵すなわち技術を活用してきました。そこで、『水』、『人』、『知恵』という三要素の相互連関に沿って、問題点を整理していくのも一案ではないでしょうか。
 人は毎日の生活の中で水と接しているわけですから、まず『人・生活』と『水』の接点という切り口で水を捉えてみますと、淡水資源の確保、安全な水、衛生、さらには天然のダムとしての森林の保全と生活の両立、等の観点が浮かび上がります。
 他方、残念ですが人間を通過した水は必然的に汚れるわけですから、水質汚濁防止について検討しなければなりません。これは、自然の自浄作用という自然の力をいつの日か人間の破壊力が上回ったことに起因しています。このため人間の『知恵』、特に『技術』で問題を解決しなければならなくなりました。逆に、自然の威力をもっとも強烈に人間に見せつけるものの一つが洪水や津波であり、ここからは人間と自然の戦いという観点が出てきます。つまり水を考えるときに、技術を駆使した防災も避けては通れない課題となります。ところで昔の中国では、水を治めるものは国を治め、国を平和にするとさえ言われていました。
 このように、自然と向き合う人間は知恵を絞り、技術を活用して自然と共生してきたわけですが、人が生きていく上で水と関連する技術には幅広いものがあります。これを、『生活』と『技術』の接点として捉えると、例えば乾燥地における井戸掘りから、近代的な上下水道関連技術、治山治水技術、ひいては海水淡水化にいたるまで幅広いものが考えられます。ところが、残念なことにすべての国の人々が技術を持っているわけではありません。これが技術を分かち合うこと、必要に応じて資金的にも応援すること、つまり開発支援について考える必要がある所以です。
 以上のように水と人間、あるいは人間と水、について考えていくと、『水』、『人』、『知恵』の三要素をうまくかみ合わせて調和させていくことが求められているように思えてきます。限りある資源を子どもたち、さらにその子どもたちに継承していくためには、文明の名のもとに自然を搾取することをやめ、循環型社会を作り出すことが大切だと信じます。

(2.具体的行動)
((1)主婦と農民)
 けれども、これは言うは易く、行うはかたい典型的な問題であることも事実かもしれません。
 このような問題意識のもとで水問題を考えたときに、実は最も大切な観点は、六十億人の人間が、どのようにすれば人としての威厳、尊厳を受ける人生を送るようになれるか、ということではないでしょうか。そこで、『人』をさらに具体的にとらえて、家庭での水の担い手である主婦と、水の3分の2を使う農民について考えてみたいと思います。
 ケニヤのジョモケニヤッタ農工大学を訪れたとき、公開市民講座に女性農民のリーダーたちが参加していて、お互いの知恵を交換している場面に出くわしたことがあります。ある女性農民は、畝に刈り取った藁を敷いて水分の蒸発を防ぐという自分の村に伝わる古くからの農法を他の地方から参加している女性農民に示していました。大規模畑作で農業用水の大半が蒸発してしまう先進国の農家も見習えないものかとひそかに思ったものです。また、大学では農民たちが自分でメンテナンスできるような簡単な手押し車を作り、農作業が楽にかつ効率よくなるよう工夫していました。女性リーダーがこのような講座に参加すること自体が女性のエンパワメントを象徴しているとの印象をもちましたが、公開市民講座に合宿参加している間にお互いに議論したり、それぞれの村について語ったりすることは、いずれは草の根民主主義にもつながるものです。
 水に絡んだ女性のエンパワメントといえば、ケニヤで大変に興味深い例があります。当初人口問題の専門家としてナイロビ西方四百キロにあるエンザロ村に入った日本の女性専門家が、人口問題の解決にはまず女性の生活向上から実現しなければならないと考え、台所のカマドの普及を試みたのです。もしここにケニヤからの参加者がいらっしゃれば、よくご存じのとおり、ケニヤの農村部では三個の石を置いただけのカマドが多く使用されており、このカマドでは燃料となる薪の採集と水汲みに女性は追われっぱなしです。これを見た専門家はふるさとの北日本の村に昔から伝わるカマドを思い出し、火の焚き口を一箇所、料理の鍋をかける場所を三箇所にし、そのうちの一箇所に蛇口つきの鍋をはめ込んで煮沸された水をいつでも飲めるように工夫した改良カマドを主婦たちに紹介しました。材料はエンザロ村で取れる粘土質の土でしたから材料費はただ、カマドのデザインや大きさは主婦たちの創意工夫にゆだねたため積極的な参加が得られ、瞬く間にその村の三百戸すべての農家の主婦がカマドを作ったのです。その結果、第一に感染症や寄生虫が予防されるようになり、第二に女性が水汲みと薪拾いに費やしていた長時間労働から開放されて社会活動に参加するゆとりが生まれ、第三に熱効率が三倍になったことから薪の消費が減って樹木の保全効果が現れ、第四に主婦たちが生活改善の実績に自信を持って、その自信に支えられた夫婦間の円滑な対話という当初の目的であった人口問題にも良い影響が出たのです。
 このケースは、『持続的開発は台所から始まる』という一つの典型例ではないでしょうか。 実は、水の供給に関係して台所革命が起き、労働時間が減った女性のエンパワメントが実現、そして農村社会の発展から国全体の経済成長達成という道筋は、かつて日本の農村部でも実証されたことなのです。日本では、第二次大戦中に国中の殆んどの町がじゅうたん爆撃で焼き尽くされ、敗戦の混乱の中で、とにかく国づくりをやり直さなければなりませんでした。私は第二次世界大戦に日本が敗北した時、小学校の二年生でした。まず何より始めに、全国の焼け跡に学校を建て、初等教育を安定的に行えるようにしましたが、農村部では簡易水道も引きました。これは井戸からの水汲みという作業から農家の主婦を解放し、また何よりも公衆衛生の増進に大変な効果を表しました。現在、日本は世界の途上国に対して、水と衛生分野で十八億五千万ドル(二千年実績)のODAを供与していますが、それはまさにこの敗戦後の自分の経験に裏打ちされた信念に基づくものなのです。
 さて、井戸といえばアフリカ大陸でも乾燥地に井戸が掘られ村人の生活改善に役に立ち始めていると聞いていますが、日本のODAで成功したケースは、井戸掘りもさることながらその井戸の管理を村人が井戸委員会等の形で自主的に行っているものです。自分たちの手で自分たちの村の井戸を管理することは、井戸の水質管理にも直結する広義のアカンタビリティーを芽生えさせています。ODAは、上からの押し付けという慈善では成功しない、あくまでも地元のオーナーシップを尊重した対等なパートナーシップとして実施すべきということが、こうした草の根レベルでも実証されているのです。

((2)ヨハネスブルグから京都へ)
 さて、水をめぐる問題は人間の生活を越え、また国境を越えざるを得ません。古くからある紛争原因の一つは水争いでしたし、また水と貧困、水と生態系、水と都市問題、水と災害、砂漠化防止と緑化、取り組むべき課題は十指にあまります。そうした中で2015年までに安全な水にアクセスできない人の数を半減するというミレニアム目標を達成するには、大変な決意と行動が必要です。先進工業国も、途上国もです。
 幸いなことに、水に関する限りはこのヨハネスブルグ・サミットを行動志向的なものにすることに多くの参加者が賛同しているようです。ただし、行動は資金を必要とします。インフラ整備だけでも千八百億ドルにも及ぶとの世界水ビジョンの試算もありますが、これは公的資金で賄える額ではありません。先月下旬にワシントンで開かれた水セクターについてのタイプ2会議には、先進工業国・途上国双方の政府、民間企業、NPO等が参加して、水問題解決のためにはオーナーシップの上にたつ幅広いパートナーシップが重要であるとの認識が共有されたと承知しています。
 ここヨハネスブルグでは、先進工業国が自国の水資源管理のあり方について改めて考えたり、また途上国が自国の水政策について見直すことも含めて、参加者の多くが具体的な行動の出発点とすることを期待しています。例えば大規模な漏水を指摘されているある大都市は、その改善に資金を向けるだけで随分と成果をあげうるのではないでしょうか。
 また、今回の会議では衛生に強い関心が寄せられていると承知しています。大変結構なことであり歓迎しますが、飲み水も十分ない所で水洗トイレの話をしているかの印象をかりそめにも与えないように、十分注意する必要があります。先ほども申しましたように水は多様かつ多面的な問題を惹起しているので、きめの細かい対応が必要です。一つの解決策は、水を越えた技術を水セクターに導入することです。このセミナールームの隣に、日本ではすでに稼動しているエコごみ処理工場の模型とともに、おがくずとバクテリアを活用したエコ・トイレの紹介パネルが展示されていますので、後ほどご覧になっていただければと思います。このエコトイレは富士山登山のし尿問題を解決するために実験的に導入されたものですが、水問題の解決にはあらゆる知恵を絞る必要があるという一つの典型例だと思っています。
 ヨハネスブルグ・サミットの半年後、来年の三月には京都・滋賀・大阪で第3回世界水フォーラムが開かれます。京都は古くから水に恵まれ、また水運の中心地でもありました。そうしたことが二千年にわたって日本の政治や文化の中心地としての地位を京都に与えたわけですが、今年のうちに気候変動に関する京都議定書が発効し、そして来年三月にはヨハネスブルグでの水についての合意をレビューできる、そのような世界に貢献する町としての新しい役割を京都が果たせるとしたら、望外の幸せであります。

結び
 中東の砂漠地方には、『約束は雲、実行は雨』ということわざがあると伺いました。ヨハネスブルグサミットでの約束が、世界に雨を降らせるように切にお祈りいたします。
 ご清聴ありがとうございました。