「日本の公害経験と克服への道」
ジャパンパビリオンにて
平成14年8月29日
写真
 
photo  地球環境行動会議(GEA)顧問の橋本龍太郎です。皆様、ジャパン・パビリオンにお越しいただき、ありがとうございます。
 私は、地球環境行動会議派遣団団長の海部元総理大臣からの御挨拶に引き続き、これから少しお話をさせていただき、皆様に先程御覧いただきましたビデオが訴えかけましたメッセージを、さらに敷衍してみようと考えております。
 ここに御参加の皆様にとりまして、ビデオの印象は極めて鮮烈であったのではないかと拝察いたします。公害の犠牲となられた方々に追悼の誠を改めて捧げたいと存じます。また、印象だけでなく、ビデオの訴えの内容につきましても、海部元総理からお話のあったとおりで、大変に明瞭で誤解の余地ないものと存じます。
 したがいまして、重ねての解説は要しないと存じます。
 そこで、私は、視点を変え、なぜ、このビデオのような訴えかけを日本がするに至ったか、その背景や動機を、まずもって、お話し申し上げようと思います。そして、次に、このビデオなり、元になったレポートでは割愛され、触れられていない視点があり、その眼で見ますと、まだまだ他の種類の環境問題が、日本の発展過程で生じていたことも率直に申し上げたいと存じます。
 これらを通じまして、これまでの持続可能でない形の経済発展を持続可能なものに変えていくべく、国境を越えて人類が取り組むことの意義を、この歴史的なヨハネスブルグ・サミットに参加されました皆様方と一緒になって考える、そのための具体的なきっかけづくりをいたしたく存じております。

 さて、このビデオの元になりましたレポート、これは、「日本の公害経験」と申しまして、ビデオの中にもその表紙が撮されておりました。これが取りまとめられたのは、1991年のことであります。日本で1971年に創設されました環境庁が20年の節目を迎えた際に、当時は大蔵大臣をしていました私が、当時は環境庁長官をされていらっしゃった本日の司会の愛知和男先生と相談し、環境庁の事務方に対し、ある分析作業を依頼しました。その成果をまとめたのがこのレポートであります。
 大蔵大臣が、環境庁に作業を発注をするというのはいささか越権的ではあります。しかし、1971年の環境庁創設に当たっては、その母体となった厚生省で政務次官をしていて、その設立作業に携わって以来、私は、環境政策の功罪や環境行政組織のパフォーマンスには常に問題意識を持っておりました。そしてさらに、大蔵大臣として一国の経済運営の舵取りに携わり、また、世界全体の経済的な課題に対して各国の財政責任者と調整しながら取り組んでいく中で、環境問題がいかに経済と関わり合いの深い問題であるかを実感し、それがゆえに、環境政策の在り方についてはますます大きな関心を抱くようになりました。
 その関心とは、つまり、環境行政は、往々問題が発生してからの後追いで始められるが、その経済に与える影響はどうなんだろうか。経済発展と環境保全との関係がもっと実証的に分からないと、自信をもった経済政策決定はできないぞ、という思いであります。
 たまたま、私どもの日本は、様々な悲惨な公害を、戦後復興期から経済の高度成長期に掛けて経験いたしました。公害のデパートとも言われました。そして、公害規制を一元的に所管する環境庁を作って、分野によっては世界一と言われるほどに規制を強化した歴史を持ちます。こうした経緯を辿った日本各地の具体的な実例を冷静に分析すれば、私の持ったような疑問に答えられるのではないか。もっと申し上げれば、世界の開発政策、経済政策を向上する上で真に役立つ説得的な貢献ができるのではないか、と思い至ったわけであります。しかし、日本の失敗をあからさまにして世界に知らしめるような仕事には、正直、いろいろな抵抗があって当然です。ですから、こうした分析は行われていなかったのです。そこで、無理を承知で、異例ではありますが、環境庁の事務方に私が直接に作業依頼しました。
 分析の結果は、ビデオにあるように明快でありました。
 多言はいたしませんが、環境対策への出費を惜しんで開発を進めてみても、公害などのシッペ返しを受け、かえって開発は経済的に引き合わないものになってしまうこと、言い換えますと、環境に初期段階から十分に配慮した開発であってこそ経済的にも実りある開発になる、ということです。

 また、その後1年間を掛けて分析はさらに深められました。熱心な環境対策の担い手になった個々の企業へのインタビュー調査、そしてマクロ経済モデルを用いたシミュレーションも行われました。
 この分析結果は、本日のビデオでは紹介されていませんので、折角のこの機会に、結論だけは申し上げることをお許し下さい。
 日本の政策とは、公害を後追いし急速に強化された環境対策でしたが、驚くことに、そのマクロ経済への悪影響はまったくなかったのです。それは環境対策が、健全な労働力を守ると同時に、新しい市場を生んだからです。しかし、仮に、実際よりももっと早い段階で環境対策が強化されていれば、マクロ経済のパフォーマンスはもっと良かったはずなこと、反対に、環境投資を手控えていれば、甚大な被害が発生し、経済発展は遅れてしまっていただろうこと、も同時に分かりました。
 環境政策は、経済発展政策でもあったのです。
 熱心に環境対策を行った企業の調査からは、環境政策の成功の条件も見えてきました。それは、企業の自発的な意志はまずもって不可欠ですが、それだけでは環境政策を成功させるには不十分である、ということです。進んだ環境対策へ企業が挑戦するのを助ける金融、反対に対策を怠る企業への規制、消費者・需要者たる国民が環境対策へ取り組む企業へ与える支持、などなど、社会のチームプレーとして環境政策が行われた時に、環境政策は大きな力を発揮するのです。良い経済発展政策となるのは、良い環境政策です。
 余談ですが、このような分析結果もあって、私が総理大臣の時に方針を決めました中央省庁のリストラクチャリングに際しましては、他の省庁は大胆にスリム化する一方、環境行政は、国の政策の本流の中に位置づけるべく、より大きな環境省にすることとしました。
 ビデオにあったレポート、そして私が追加的に紹介申し上げた分析作業のレポートのそれぞれ英訳版は、おそらくこの会場で入手できると存じます。レポートだけでなく、私達は、日本が経済発展の過程で犯した失敗、そしてそれを通じて得た教訓を、あらゆるチャネルを通じ惜しむことなく、諸外国、特に発展途上国の方々にお伝えする覚悟です。日本は、お陰様で良好な環境を相当程度取り戻しました。ビデオにあるような海辺でもおいしい魚が獲れるようになりました。しかし、今でも、一部の都市公害、見えない微量化学物質による忍び寄る汚染、廃棄物問題、そして地球温暖化対策などに苦闘しています。どうか、この日本の生の姿を見て下さい。日本の代表団は、政府が承知するだけでも、NGOの代表、産業界の代表、そして政治家など、およそ400人を数えると聞きます。この他にも、一般の市民、マスコミなど多数が参加しています。どうぞ遠慮なく、その誰にでも質問をして下さい。そして、折角のヨハネスブルグ・サミットに参集されました皆様方が、この歴史的機会に当たって、新しい発展の在り方を考える材料として私達の日本の経験を活用していただきたい、と願ってやみません。

 私からのお話を終えるに当たって、私は、先程のビデオでは扱い切れなかった、もう少し別の視点、別の問題もあることに皆様が御関心を向けて下さるよう、最後にお願いしたいと存じます。
 それは、発展や開発の問題が論じられる時は、ややもすれば経済的な考察が中心となりますが、人間の問題、自然の問題を扱う物差しは、金銭だけではないということです。先程のビデオの限界もそこにあります。公害で失われた健康や人命は、お金には換えられない、かけがえのないものです。私は、人間の尊厳を守るために、今よりもっと多くの経済的資源が投じられて当然だと考えています。
 さらに、物言わぬ自然の破壊の問題も深刻です。動物や植物は、私達と同じ地球の乗組員ですが、市場を通じた意思決定には参加できません。
 一例を挙げましょう。私達の日本では、ビデオで見ましたような復興過程で、膨大な木材を必要とし、山の森林を徹底的に伐採しました。もちろん伐採跡地を放置するようなことはいたしませんでして、跡地には、育ちがよく加工しやすい杉などの針葉樹を一生懸命に植えました。日本の森林比率は、こうして、今でも、先進国の中では例外的に高い7割弱を保っています。今日では、こうした戦後の造林の木も育ち盛りを過ぎるくらいに大きくなりました。
 これで良かったのでしょうか。
 そうではありません。経済成長の担い手の若者は都会に出て、山を管理する人はほんの少しになってしまいました。手入れが行き届かず、木は、密植されたままヒョロヒョロと細く伸びて、根は地中浅く張っているだけです。土を肥やす落葉樹の落ち葉もありません。さらに、貿易が盛んになるにつれ、安い海外の木材が入ってきたため、今以上の森林管理にお金は使えなくなっています。緑はありますが、その質が劣ってしまった結果、山地では土砂崩れや鉄砲水が起こりやすくなり、下流では、ダムが土砂で埋まったり、渇水になりやすくなり、海では、魚や貝類の栄養が不足するようになりました。生態系も変わってしまいました。山では、広葉樹林を住みかとした多様な動物たちがいなくなり、あるいは、餌のない山から人の住む里に下りてきて畑を荒らす動物も出てきたと指摘する人もいます。日本では、ようやく事態の深刻さが直視されるようになりました。落葉広葉樹を混ぜた造林が広がるようになり、都市住民や漁民など、下流の人達が森づくりに参加するなどの動きも出てきています。
 自然生態系の変化は、このように、気づかぬうちに大きな影響を人間に及ぼすようになるのです。
 移入の外来種にも注意が要ります。毒蛇の天敵と思って導入したマングースが、日本固有の野鳥の棲息を脅かしています。ブラックバスは、在来の小魚を補食するので、小魚を原料とした伝統的な食品の製造が困難になっています。
 人の尊厳を守るための政策、自然環境政策などは、経済政策の物差しでは必ずしも評価できないかもしれません。しかしそれでも、開発政策、発展政策の一部として、しっかりとした位置づけを与えられるべきです。

 開発・発展の問題を論ずると、債務免除などの経済的な応急措置が、ややもすれば焦点となりがちです。緊急の対症療法も必要な場合があることは否定しませんが、副作用もあれば限界もあります。この歴史的なサミットの機会にこそ、迂遠なようですが、人類、そして生きとし生ける総ての物を育む母胎である環境との関係の在り方に遡って、長期的、根治的な開発政策、発展政策が議論されますよう、心から期待する次第です。その際には、私達日本の経験が皆様のお役に立つに違いないと信じます。

 ありがとうございました。