8時間30分のハバナ会談
−橋本元総理のキューバ訪問−
大 鶴 哲 也
平成13年12月15日
 「カストロ議長が『今からお会いしたい』と言っています。このまま直接、会談場所へ向かって頂けますか。」
 10月4日の正午前、ハバナの空港に到着した橋本龍太郎元内閣総理大臣を待っていたのは、空港に出迎えに来ていたゲラ外務次官から馬渕在キューバ大使を通して伝えられた、この想定外のメッセージであった。
 今回、カストロ議長との会談について事前のアポイントメントは確定できていなかった。国際経験豊かな橋本元総理からは「相手はカストロ議長、さもありなん」と理解を示して頂き、事務方の悩みは大層軽減されたものだが、果たして会談が実現するのか───準備にあたる我々に一抹の不安がなかったと言えば嘘になる。それでも、日本出発直前の段階では、在キューバ大使館を通じた事前折衝により、2泊3日の滞在最終日の10月6日あたりに会談が実現するであろうという心証を得るところまでは至っていた。結局、そのような我々の読みは、到着早々の先方申し出によって見事に裏切られることになった───。


 筆者は、今回の訪問に同行し、キューバ滞在中のほとんどすべての日程を元総理と共に過ごす機会を与えられた。以下、その概要を紹介するとともに、今回同行して感じたことなどについて、断片的ながらも書き綴ってみたい。なお、文中、客観的事実を超える記述のある部分については、筆者が個人的に得た印象であって、橋本元総理御自身の考えとは必ずしも一致しない可能性がある点、予めお断りしておきたい。

5年越しの思い−今次訪問最大の目的
 橋本内閣時代の1996年12月、ペルーの首都リマで起きた日本大使公邸占拠事件では、発生から約5ヶ月後の結末に至るまで関係者による様々な解決努力が続けられたが、当時キューバ政府が、公邸を占拠するMRTA(トゥパク・アマル革命運動)メンバーの自国への受け入れ用意がある旨表明したことを記憶されている方もおられると思う。これは、キューバの「友人」たる日本とペルー両国が苦しんでいる状況を看過できないという、カストロ議長をはじめとするキューバ政府の特別な配慮によるものであったが、テロリスト受け入れという、自国の国際的イメージ・ダウンにつながりかねないリスクを伴う決断でもあった。
 橋本元総理は、事件の発生から解決に至るまで日本政府の最高責任者として陣頭指揮にあたったが、事件解決以来、自らキューバを訪問してカストロ議長ほかキューバ側に感謝の意を表明したいとの意向を有されてきた。今回の訪問は、5年越しにその機会を得ることとなったものである。


丁々発止の2.5+6時間
 今回の訪問のハイライトは何と言ってもフィデル・カストロ国家評議会議長との会談である。冒頭紹介したとおり、「遠来の客を待たせてはいけない」というカストロ議長の配慮を受けて、橋本元総理は空港で現地マスコミの取材に応じた後、急遽その足で会談会場に向かうことになった。
 会場では軍服姿のカストロ議長が自ら玄関まで出迎えに現れ、すっかり人数分の昼食が用意された応接食堂に案内された。冒頭、剣道に始まりスポーツ一般や健康維持法など比較的「柔らかい」話題からスタートした会談は、間もなく、医療事情、環境問題、食糧問題、循環型社会のあり方など国の政策レベルに発展してゆく。カストロ議長は、これらの分野におけるキューバの現状と自ら主導する政策を詳細にわたり紹介しつつ、日本やアジア、更には世界レベルでの取り組みなどにつき次から次に質問を浴びせかけ、対する橋本元総理は、自身の総理、蔵相、通産相、厚相時代の経験談なども盛り込みつつ鏗鏗と論じて、政策談義は止まるところを知らない。橋本元総理の、具体的な数字や事例、データを豊富に交えた丁寧な説明ぶりに、時に身を乗り出して耳を傾けるカストロ議長は眼光爛々、背筋も伸びて、75歳という年齢を全く感じさせない。この丁々発止のやりとりが自身の貪欲な知的好奇心を大いに刺激したのか、カストロ議長は、橋本元総理のキューバ出国前の再度の会談を提案し、元総理もこれを快諾され、2日後に再び意見交換を行うこととなった。
 初日の会談を締めくくるに際し、橋本元総理は、ペルー事件の経緯を振り返りながら、深甚なる態度で謝意を表明された。当時それぞれの国を預かって「真剣勝負」の最前線にいた両人の感慨深げなこのときの表情を、筆者は今後生涯忘れることがないと思う。
 結局、到着初日の会談は延々2時間半に及んだ。ノンストップで通訳にあたった某書記官の健闘を讃えながら、筆者もまた目の前で繰り広げられた会談の熱気を浴びて心地よい疲労感を覚えていたが、実はまだまだこんなものではなかったのである。
 中一日おいた10月6日。今次訪問二回目の会談は、同じく昼食を挟みながら、連続約6時間にわたるマラソン会談となった。筆者は既に外務省生活10年を数えるが、一回の訪問で合計8時間半というかくも長時間の会談が行われた例を寡聞にして知らない。しかも御両人は才学雄長、議論の中身は濃密そのものである。内容的には、9月11日に発生した米国同時多発テロ事件に始まり、横軸に政治、経済、文化、環境、国際情勢を、縦軸に第二次大戦前夜から冷戦、イラン・イラク戦争、ソ連崩壊、湾岸戦争を経て現代に至る時代をとりながら、ありとあらゆるテーマが料理されてゆく。そのやりとりの詳細を紹介するには本誌今月号の全てのページを頂戴するぐらいでないと間に合わないが、特に世界経済や中国ほかアジア情勢に関する橋本元総理の見解について、キューバ側同席者ともどもカストロ議長が(微に入り細を穿った質問を畳みかけながら)真剣に耳を傾けていたことは特筆しておきたい。また、カストロ議長の発言の内容がイデオロジカルな言質や単純な反米トーンに染まっていない点が、筆者にとってはやや意外でもありまた新たな発見でもあった。「歴史は様々な事象や政策決定が相互に連関しながらその流れを決めていくものであって単純な解釈は危険である」との同議長の発言には、その懐の深さを感じさせられるとともに、同議長が今回二度の会談中に示し続けた意欲的な態度の淵源を垣間見たような気がした。


その他の日程
 今回橋本元総理は、カストロ議長のほかにも、ラヘ国家評議会副議長、ペレス外相、カブリサス国際経済担当相、アラルコン人民権力全国議会(国会に相当)議長との間で、米国同時多発テロ事件、日・キューバ関係、ハバナ湾の環境問題、観光開発、福祉政策などについて個別に意見交換を行った。
 また、文化無償資金協力署名式、草の根無償資金協力贈与契約締結式に臨席され、短時間ながら日系社会との交流の機会も得た。この文化無償資金協力は、中南米地域で有数の歴史を誇るハバナ・グラン劇場への音響機材供与に関するものであったが、5日夜、同劇場で行われたクラシック・バレエの公演を鑑賞した橋本元総理の臨席がアナウンスされると、観衆一同からスタンディング・オベイションが贈られるという一幕もあった。
 到着初日は、短時間ながら旧市街などハバナ市内を視察する機会も得られた。その際、元総理がハバナ湾の汚染状況を目の当たりにされたことで、その後一連の会談における環境問題についての議論に厚みが増した面もあったようである。


「まだ聞きたいことがある」
 今回の橋本元総理の訪問で、キューバ側は、わが国を含め国際社会のものの見方や世界の潮流をひしひしと感じることができたであろう。また逆に我々も、カストロ議長という、第三世界の重鎮として半世紀を駆け抜けてきた人物の思想の一端に触れる機会を得ることができた。筆者も今回、その私を滅して公に奉ずる姿勢の堅きを感じ、また厳格な中にも柔和な光を湛える瞳を間近にして、巷間言われる同議長のカリスマの源泉に触れることができたような気がした。
 日本とキューバとの間には、これまで歩んできた歴史の違いを背景に、立場を異にする分野が存在することは厳然たる事実である。例えば、キューバは、米国同時多発テロ事件に際し、テロリズムを断固非難し人道的立場からの協力提供を申し出る一方、米国などによるいわゆる報復措置にも反対の立場を鮮明にしている。今回、橋本元総理は、このテロ事件への対応ぶりを含め、扱われたテーマのことごとくについてわが国の立場や考え方を明確に示すと同時に、キューバ側の立場を確認するよう努められた。対話を通じて、それぞれの立場を見据え、相互の理解を深めながら、国際場裡における各々の行動の不確実性を減じる努力を積み重ねていく───指導者レベルの緊密な意見交換が持つ醍醐味を改めて噛みしめることができた旅であった。
 再び、カストロ議長との第二回会談のワン・シーン。会談開始からちょうど5時間が過ぎようとした頃「議長もお疲れであろうから」と席を立ちかけた橋本元総理を、カストロ議長は引き留める。
「いや、まだ聞かねばならないことが残っている。」
 次の訪問地エジプトに向かう元総理の同日夜のフライトの都合もあって、その1時間後に会談は終了したが、カストロ議長は名残惜しそうに自ら玄関まで見送り、再会を約して最後を締めくくった。
 近年、日・キューバ間では要人往来が非常に活発化しているほか、政治、経済など様々な分野での関係強化に向けた動きも顕著である。今年も2年連続でキューバへの直行チャーター便が運行されたほか、村上龍の著作や映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のヒットなどもあって、キューバ文化へのわが国国民の関心もそれなりの高まりを見せている。
 しかしながら、我々にはお互いまだまだ言うべきことも聞かねばならないことも残されており、やるべきことは山積している、のではないか───橋本元総理を引き留めたカストロ議長の言葉が、これからの両国関係を象徴しているような気がしてならない。対キューバ外交に携わる一員として、気持ちを新たにした次第である。


(おおつる・てつや 外務省中南米局中南米第二課首席事務官)