PECC(太平洋経済協力会議)第14回総会スピーチ原稿
橋本元総理スピーチ
 
平成13年11月30日

新世紀における太平洋地域のコミュニティの確立に向けて



(新たな挑戦)
1.(1)9月11日、より良い世界を築いていこうとする私達の信念は、一層強固なものとなりました。無実かつ非武装の一般市民を武器に仕立て、併せて殺害の対象とした、あの攻撃への怒りが、この信念の再出発点となりました。また、「多様性の海に立脚する調和」を体現しているPECCが、如何に時代を先取りしたものであるかが改めて想起されました。冷戦の脅威が世界の多くの地域で過去のものとなった今日、残念ながら、世界は新しい挑戦を受けています。テロ攻撃は、歴史の流れの中で国家の役割について改めて考え直させるとともに、既に国境を越えた存在となっているボーダーレス経済が、不況の淵から後ずさりできるかとの挑戦を突きつけています。私達は新たな世紀に希望を託すことができるのか。人々の表情に自然な笑顔の浮かぶ日々は再び戻ってくるのか。この時代を生きる一人の政治家として、自分達に何がなし得るのか。皆様とともに私は、この挑戦を受けて立ちます。
(2)さて、今日の世界はいくつかの脅威や新たな問題に直面しています。一つは、グローバル化の中で進行してきた国家間の格差の拡大であり、これは国家内の格差の拡大と相まって、既存の国際システムの意義に挑戦を投げかけています。この問題は、処理を誤れば世界の政治的安定自体を脅威に晒すおそれがあります。シアトルやジェノバでの自由化反対・反グローバリズムのデモは、代議制への挑戦をはじめとして、多面的な危険を感じさせるところがありました。さらに、9月11日のテロ攻撃がグローバル化の最先端を担う人間の頭脳とコンピュータのデータを失わせたことの重みを静かに考えなければなりません。
  もう一つの脅威は、冷戦後の地域紛争の多発でありますが、さらに伝統的な国家という単位(エンティティー)を主体とする戦争から、非国家主体との戦争が生じてしまったことも、人類全体にとっての挑戦となっています。
(3)ところが、経済問題に限ってみても、今や、政府だけで解決が図れる時代は過去のものとなりました。企業活動は国境を越え、学問研究も一国内のシステムだけでは完結しなくなり、グローバル・ガヴァナンスという観点から研究が進められるようになりました。こうした中で、PECCは、産・官・学の代表者が参加するユニークな討議の場であり、国際社会のボーダーレス化を先取りしてきたと考えます。したがって、PECCは、こうした新しい時代の問題の解決を模索する最適の場であり、それだけに、PECCにかかる期待には大きいものがあると感じます。
(4)さて、97年から98年に発生した経済危機の後も、アジア太平洋地域の経済力は、少なくとも潜在的には、強いファンダメンタルズを有しています。これは長年、PECCやAPECに総理や閣僚として係わってきた一人の政治家としての正直な実感です。この地域の多様性は発展への可能性を含み、勤勉さと高い貯蓄性向は成長への潜在的基盤を感じさせます。教育への信念に裏打ちされた人材の豊富さにおいても、他の地域に決して引けを取りません。この地域が新たな世紀の世界をリードできるか。ここに集まる我々の双肩には、そうした大きな責任が懸かっていると感じます。

(PECCの課題)
議長、
2.(1)こうした状況を踏まえつつ、私は、PECCが重点を置くべき課題として、以下の四点を提起したいと考えます。
  まず、主要国経済が同時減速している現在の経済情勢は、前回の危機をも上回る深刻さを呈しており、喫緊の対応が必要であります。経済情勢に明るい展望を取り戻すためには、貿易・投資問題と財政・金融問題を有機的に結び付けて政策を検討する必要があるということは、過去の教訓からも明らかであります。先般の危機以降、アジア諸国が貿易・投資面での取り組みに加えて、チェンマイ・イニシアティブ等の具体的な金融安定化措置を実現したことは評価に値するものです。まさにPECCが、貿易と金融問題を新たな三つの重点活動の二つに位置づけたことは、時代を先取りした重要な決定であります。
(2)第二に、PECCは、多角的貿易体制に対する支援を一層強化すべきと考えます。先般のWTO閣僚会議において、困難な調整を経て新ラウンドの立ち上げが合意された背景には、シアトルでの失敗を繰り返さず、多角的貿易体制への信頼を取り戻そうとの参加者の固い決意がありました。こうした決意を実質的な成果に結び付けるために、PECCとしても新ラウンドの推進のための側面的支援を行っていくべきと考えます。特に、多くの途上国・地域をメンバーとして抱えるPECCは、その懸念・関心に応え得る基盤を有しているのではないでしょうか。この機会に、世界の人口の約五分の一を占める中国、及びチャイニーズ・タイペイがWTOに加盟したことを歓迎します。新ラウンドにおける貿易ルールの一層の明確化と相まって、両メンバーの加盟が国際貿易分野でのグローバルな法的枠組の更なる整備を進める上で有益な一歩であると信じます。
(3)第三の課題として、問題解決のために民間部門と政府がどのように連携していくか、具体的に考える必要があります。世界市場で活躍する企業関係者を擁するPECCは、民間部門の知見・要望を集約できる基盤を有しています。官界の実行力、学界の知見と相まって、その先駆的な役割が期待されるところです。
  この意味からも、私は、APECとの有機的な連携を促進することが、地域協力全体の活力を高める上で極めて重要だと考えます。PECCがAPECの「生みの親」として「知恵」(ウィズダム)を出し、積極的にインプットを行っていくことにより、いわば「頭脳」の役割を担うべきと考えます。特に、APEC事務局の拡充が種々の事情から難しい状況にあるだけに、こうしたPECCの役割は、双方のプロセスの活性化につながると信じます。
(4)第四に、グローバル化の功罪については、これまでにも多くの指摘や議論がなされてきましたが、現在我々が直面している課題は、グローバル化の是非を問うことよりもむしろ、如何にグローバル化を我々の味方につけて一層の繁栄のための手段とするか、如何にグローバル化を超越することができるかということにあるのではないでしょうか。
  国際化が国家間関係と言ういわば「点と点」の相互関係を緊密化させるプロセスであったのに対して、グローバル化は、一般国民を含む社会全体の「面と面」での関係を緊密化させるプロセスであると言えます。グローバル化は、あらゆる人々が世界中で取引を行う大きな機会を与え、またITの流布は、人々に発信する機能と手段をもたらします。こうしたことが生活水準の向上につながることに人々の理解を得ることが、グローバル化を超えるための出発点だと思われます。
  PECCは、その幅広い活動を通じて人々の理解を増進させうるばかりでなく、特にグローバル化の負の側面に焦点を当てている人々を啓蒙していくことができるのではないでしょうか。

(コミュニティの光と影)
議長、
3.(1)1980年に最初のPECC総会が開催された際には、太平洋地域としてのアイデンティティやコミュニティといった概念は、むしろ希薄であったと思われます。その後、PECCが貿易、金融、電気通信等の多岐に渡る分野で太平洋諸国・地域共同の取り組みを着実に進め、太平洋地域のコミュニティ意識を醸成してきたことは、誇るべき実績であります。
  特に、PECCは、文化、宗教、経済発展の度合い等につき多様な背景を持つ太平洋地域を結び付ける上で重要な指針や原則を提示してきました。「開かれた地域主義」は、90年代の地域貿易協定の急増が偏狭な地域主義に走らせることを抑止してきました。コンセンサス重視、多様性の尊重といった良き伝統は、メンバーの精力的な参加を確保して、「多様性の海」における「ハーモニー」を築いてきました。
(2)ところが、アジア太平洋地域のコミュニティ建設に見えない敵が現れようとしています。その一つは、コミュニティの未来を支える青少年や家庭を蝕み始めている違法薬物の急速な拡がりです。日本では、アヘン戦争のおぞましさを隣国として見て以来、麻薬の抑圧に強い成果を上げてきましたが、残念なことに、今や覚せい剤を中心とした違法薬物に急激に汚染され始めています。15才の少女や、一般の主婦が、痩せ薬と騙されて罠にはまっていくのです。この汚染は、グローバルなものとなっているため、私は日本の麻薬覚せい剤乱用防止対策推進議員連盟を発足させ、来年四月には各国の議員や専門家の参加を得て、東京で国際麻薬統制サミット2002を開催します。多くのアジア太平洋諸国からの参加を呼びかけたいと思います。
(3)また、性格は異にしますが、コミュニティの発展を阻害する見えない敵として、水資源の枯渇を指摘しないわけには参りません。既に多くの識者がこの問題を論じていますので長くは申し上げませんが、人口の増大や急速な経済成長が水源地の森林という天然のダムを破壊してしまったことは、次の世代に深刻な結果をもたらそうとしています。過般、エジプトで2003年の世界水フォーラム東京会合のための準備会合が開かれ、世界に広くこの問題を想起していくことの重要性が強調されましたことを、呼びかけ人の一人として、この場で披露させて頂きます。この関連で、自然と開発の調和をテーマとする万国博覧会が2005年に日本の愛知県で開催予定であることを併せ紹介させて頂きます。この一連の行事は、日本が第二次大戦の敗戦から今日に至る自国のコミュニティ再建の中で犯した数々の失敗を踏まえた自然との共生を念頭においたものであることを付言致します。

(結語)
議長、
  今次PECC香港総会を成功裡に主催して下さった香港PECCに敬意を表し、また香港の方々の暖かいホスピタリティに感謝申し上げますとともに、「多様性」を「ダイナミズムの源」として、歴史、文化、宗教、経済規模などを異にする私達PECCメンバーが、世界に調和と共生の一つのあり方を示すことが出来れば、今日の挑戦に打ち勝って、より良い世界を子供達に残せる、こう信じてやみません。
  ご静聴ありがとうございました。(了)