世界水フォーラムについて


@ 世界水フォーラムとは
(1) 「世界水フォーラム」は、世界の重大な水問題を討議するために世界水会議(WWC)が主催する会議で、3年に1度、3月22日の「世界水の日」を含む時期に1週間程度開催されている。
(2) 第1回世界水フォーラムは、モロッコのマラケシュで平成9年に開催された。第2回は、平成12年3月17日〜22日に、オランダのハーグで開催され、世界各国から約5,700人の参加者を集め、「世界水ビジョン」を発表して非常に大きな成功をおさめた。 また、同時に開催された閣僚会議では、100カ国以上の国から大臣が集まるなど多数の参加者を集め閣僚宣言が採択された(我が国からは、岸田文雄・建設政務次官(当時)が出席)。
(3) この第2回世界水フォーラム終了後の世界水会議(WWC)理事会において、第3回世界水フォーラムを日本において開催することが決定された。 その後の国内における検討により、第3回世界水フォーラムは、2003年3月16日〜23日に京都市を中心として京都、滋賀、大阪の淀川・琵琶湖流域で開催されることとされた。また、平成13年5月より第3回世界水フォーラムの名誉総裁に皇太子殿下がご就任されている。
A 世界水会議(WWC)とは
(1) 平成4年6月の地球サミット以降、21世紀の持続可能な開発には、「水資源管理」が必要不可欠な重要な課題であるという認識が国際社会の中で高まっている。
(2) このため、平成8年に、地球規模で深刻化しつつある水資源問題の解決策を追求するために、国連教育科学文化機関(UNESCO)や世界銀行(WB)などの水に関する国際機関等が中心となり、世界的な水政策のシンクタンクとして世界水会議(WWC)が設立された。
B 第3回世界水フォーラムに向けた取組について
(1) WWC理事会における日本開催の決定を受け、関係機関、団体、学会、専門家、NGO等幅広い層の参加を得て、第3回世界水フォーラムを成功させるべく、平成12年7月に「第3回世界水フォーラム準備事務局」が開設(現在は「特定非営利活動法人 第3回世界水フォーラム事務局」)された。
(2) 政府関係省庁においても、平成12年11月に、関係省庁が連携して部局長級で構成される関係省庁会議が設置され、さらに国土庁長官官房水資源部(当時)内に「世界水フォーラム準備室」を設置し、開催に向けた諸準備が行われている。平成13年3月には、第3回世界水フォーラムに対して関係行政機関は必要な協力を行うこと、また、政府は、同フォーラムの一環として、閣僚級国際会議を開催することとし、その開催に関し、関係行政機関は必要な協力を行うものとする旨、閣議了解がなされている。
(3) 平成13年1月には、第3回世界水フォーラムの開催に必要な計画に係る基本的事項の策定等を行う「第3回世界水フォーラム運営委員会」(会長:橋本龍太郎元内閣総理大臣)が設置され、第1回会合が開かれている。
(4) 平成13年6月には、当該フォーラムに向けた「第3回世界水フォーラムキックオフミーティング」が開催されるとともに、インターネット上にヴァーチャルフォーラムが開設され、これを契機に第3回世界水フォーラムに向けた議論が本格的に開始した。



第3回世界水フォーラム キックオフミーティング
運営委員会会長
橋本龍太郎

平成13年6月3日


 ムハマド・アブザイド世界水会議議長、そしてご列席のみなさん、第3回世界水フォーラムキックオフミーティングの開催に当たりまして、主催者を代表しご挨拶を申し上げます。
まず、はじめに、この第3回世界水フォーラムの名誉総裁に皇太子殿下がご就任をいただきましたことをこの場を借りまして、ご報告させていただきます。大変名誉なことであり、同時に日本という国が、水というテーマに全ての人々が関心を持っているということ示す、大変光栄なことだと考えております。また、本日、この会場には世界水会議の幹部の方々に多数ご出席を頂いておりまして、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。また第3回世界水フォーラム運営委員会の委員の方々にも多くご参加を頂いているところです。
 私たちは21世紀が本当に紛争のない、平和な社会であり、世界の人々が、水や食糧の不足、水質汚濁による不衛生な生活条件、洪水の危険などに脅かされることがなく、豊かな自然環境を享受できるようその出発点を形作るフォーラムとなることを目指して、第3回世界水フォーラム運営委員会を設立し、フォーラムを目指した行動を開始したことをまず、ご報告申し上げます。
 今、世界を見渡したとき、気候変動に起因する洪水、あるいは土砂崩れなど、水のもたらす危険な面が年々増加しております。また、人口の増加や産業の発展、都市の急成長は食糧難の増加、水質汚染の拡大といった水に関わる問題を更に深刻化させております。迫りくる世界の水問題、その解決に向けた様々な英知はオランダのハーグで開かれました第2回世界水フォーラムの場において、世界水ビジョンとして20世紀最後の年に新しい世紀への贈り物として、とりまとめられました。私たちはここで、地球的な規模での水問題というものを考えて、世界的な取り組みについてお互いに議論をしていきたいと思います。この日本という国はその意味では、大変水に恵まれた国のひとつです。そして、古くから山紫水明といった言葉で表せるような美しい風土、そしてその豊かな水を使った稲の耕作による豊葦原瑞穂の国と言われるような水の文化を育んで参りました。この先人の偉業を背負いながら私たちはそのなかから世界の水問題においてのリーダーシップ、パートナーシップを十分に発揮できる知見や英知が十分に存在していると思います。私は歴史に学び、また、日本の政治家として今日まで仕事をして参りました経験を活かして世界の水問題に新たな力を注ぎ込んでいきたい、そのような決意を持っております。
 ここで地球的な水問題への世界的な取り組みについて、考えていることの幾つかを申し上げたいと思います。その前になぜ水の問題に私が関心を持ちだしたかを少し聞いてください。私は今年の7月で64歳になります。そして我が国が第2次世界大戦に敗れたとき、小学校の2年生でした。当時の日本は国土も荒れ果て、また、空襲によって焼かれた家屋を建て直すために、片っ端から山の木を切る時代でした。水道も破壊をされ、そこに、第2次世界大戦中各地で従軍していた日本軍の兵士達が帰って来、その人達が様々な今まで日本になかった病気を持ち帰っても参りました。そして日本人の平均寿命は50歳にまだ達しておりませんでした。日本の、今、男性、女性ともに平均寿命は世界一であります。また、乳児死亡率も世界最低水準の国です。しかし、その私が小学校2年、敗戦を迎えた頃、我が国は水を媒体とする感染症もおおく、乳幼児の死亡率も高く、男性の平均寿命は50歳を下回っていました。日本人の平均寿命が50歳を越えたのは1947年(昭和22年)のことです。この年初めて、我々は50.06歳という平均寿命において50歳という壁を破りました。今日我々は本当に世界もっとも長い平均寿命を持つ国であります。そして、ここに大変面白いひとつのデータがあります。それは日本人の平均寿命の伸びていくカーブと右肩上がりにあがっていくカーブと水道の普及のカーブを重ね合わせると見事な相関関係が生ずるということです。そして、同時に乳児の死亡率のカーブと水道の普及のカーブを重ねるとこれは、見事に相対的な関係になります。水道の普及がだんだんだんだん多くなるにつれて乳児の死亡率は下がってきました。そしてある一点を境に、非常にきれいな相対的なカーブを描きます。水道というものが、我々の暮らしの中に、今、日本人にとっては大変当たり前な、安全な水を供給するという政府の責任が、国民の健康という視点から大変大きな成果をあげたことをこのカーブは見て取ることができます。
 しかし、その日本の水道も今、様々な問題を抱えるに至りました。いったい日本という国は水の豊かな国なんでしょうか?私たちは、この日本列島というものが、四季の移り変わりの中でこれから始まるいわゆる梅雨の季節、そして秋の台風シーズン自然の恵みによって非常に豊かな水を与えられている国だ、そう観念的に考えてきました。そして、降雨量だけを考えるとき、この考え方は決して間違いではありません。ですから、私たちの言葉の中には、先祖から伝えられたものの中で、大変無尽蔵に物を浪費することを「湯水のごとく使う」あるいは、嫌なことをもうここで終わりにしようというときに、「全てを水に流す」という、こういう言い回しが日本語の中にあります。我々の先祖達もそれぐらい水という物は無限に与えられる資源、おそらくそう感じていたに違いありません。しかし、実は日本という国は必ずしも、水の豊かな国とは言えないと私は思います。なぜなら降雨量そのものは多い、しかし、細長い国でありますから、河川の流れる長さ、これは短い、結果として日本列島の上に降る雨のうち、おそらく1/3はそのまま、利用されずに海に流れてしまいます。1/3はおそらく蒸発してしまうでしょう。そして残りの1/3を我々は河川の水、あるいは湖沼の水、そして地下水として使わせていただいている、天からの恵みをそんな風に考えてみると日本は決して水の豊かな国ではありません。そして、その上に我々は非常に狭隘な国土に多くの人口を抱えています。ですから、この雨量を、一人あたり、一人あたり雨量としてとらえると、日本は実はイランの1/2ぐらいしかない、サウディアラビアの1/4ぐらいしかない、ということに気がつきます。この一人あたり雨量という考え方はあまり今まで我々はとってきませんでした。しかし、我々は決して水の豊かな国ではありません。しかもだんだん湖沼や河川の水質の汚濁が問題になり、飲用水を得るためにも非常に多くの手順を踏まなければ安全な水というものを確保する事ができなくなりました。ここにおられるみなさんに申し上げる必要はないことですが、例えば、河川や湖沼の水を飲用水として使えるようにする、その手順をちょっと振り返ってみたいと思います。
 まず、その取水口から取り入れた水の砂だとか泥だとかを沈殿させて、塩素を加えて、鉄やマンガンなどを沈殿させてアンモニアを反応させる、前塩素処理、前段階の塩素処理というのが、まず、あります。そしてアルミニウム塩を加えてかきまぜて粘土だとか、藻のような浮遊物質を沈殿させて取り除く凝縮沈殿処理という工程が必要になります。そして今度は砂によって残りの濁りを濾過する急速濾過という物が必要になります。そしてそこでもう一回塩素を加えて、基本的に我々の水道水というものは、お互いの手元に供給されます。しかし、汚染が進む中で洗剤だとか農薬だとかカビだとか、こうした物を処理するために活性炭などを使って処理をする高度処理というものが必要になり、あるいは微生物を使用して水の安全を確保するこうした処理もだんだん多くの場所で必要になりました。そしてそれは個々人の手元に届く安全な水というものがコストとして大きく、ズシリと我々の肩にのしかかってくる、そういう結果も招いております。
 たまたま数日前の新聞をみておりましたとき、その、水の問題が取り上げられており、日本の代表的な報道の一つですが、朝日新聞という新聞ですが、それこそ高いところと、水道料金の安いところと9倍の格差が生まれてしまったということがかかれてありました。これは事実であります。
 それだけ安全な水を確保するということが私たちにとっても難しくなっているということを意味します。
 同時に私は、これが日本だけのことではないことを改めて申し上げなければなりません。私は趣味として山登りを楽しんでおります。そして、日本アルパインガイド協会に登録を持つガイド資格を持つ一人でもあります。ただ残念ながらお客になってくれる人がいないのが問題なのですけれども。そしてその中で私は1973年の秋、そして1988年の春2回エベレスト、チョモランマ世界最高峰に挑戦する機会を得ました。
 73年の秋、私はネパール側からのそのエベレストに挑戦をしたわけですが、このとき我々は本当にその氷河を、アイスフォールを突破するのに大変な苦労を致しました。エベレストのネパールサイド、クンブ氷河というその氷河の氷漠をルートを作らなければ上には行けません。このアイスフォールを超えるのに我々は1ヶ月あまりかかりました。そして、きわめて厳しいルート作りの中で、荷揚げなども行ってきました。幸いに、このときはモンスーン明けのエベレストに初めて我々は登ることができたんです。そのときの思いでというと、私にとってはそのアイスフォールで非常に苦労をした、これだけがいまになると残っています。ところが88年、中国とネパールと日本、3国合同でそのエベレストをチベット側とネパール側と両方から一緒に登りだし、頂上で握手をして反対側に降りるという突拍子もないことを考えて、ま、これにもおかげさまで成功したんです。その88年に2度目にネパール側のベースキャンプに入ったとき、私は氷河が小さくなったことにびっくりしました。そして我々は73年に1ヶ月あまりかかったアイスフォールを抜けるのに、1週間でルート工作が終わってしまった。その変わりにもう愕然としました。ヒマラヤの氷河ですら、いまどんどんどんどん縮んできています。その速度は速まっています。そして、73年当時に気象観測の為に4300m地点においた研究施設は、いまではそこではヒマラヤの気象の研究に役立たなくなりました。全く別の山塊にこれを移し替えることになったわけです。しかし、そこもまたしばらくすれば替わらなければならないでしょう。ヒマラヤの氷が溶けている。びっくりしました。しかし、それだけではありません。人類の4大文明を育ててきた黄河、中国の代表的な河川である黄河が、完全に水が枯れてしまっていることをご承知の方は、このなかにはたくさんおられるだろうと思います。そして今、中国はその黄河をよみがえらせる為、やはり巨大河川の一つである揚子江から導水のための運河をひき、これによって黄河の下流に水を入れる、そんなことすら考えています。しかし、これも大変な工事です。その結果、揚子江まで痛んでしまったらどうなるんだろう。われわれはそんな心配をしています。アラル海がどんどん乾いている。こんな情報もきています。しかし、そうしたことをそれじゃ防げないのか、私はそうは思いません。昨日、水会議のみなさん、アブサイト会長始め、この滋賀県の、そしてこの京都の水ガメである琵琶湖を見に行ってくださいました。いま、琵琶湖を中心にして、滋賀県のみなさんが、そしてボランティアのみなさんが何をしているか、一生懸命に周辺に木を植えておられます。しかもそれは水を葉っぱが止める能力の高い、腐植土として地下水を安定させる役割の多い、広葉樹林を中心に植林をしておられます。水を守るために、木を植える。大変な発想ですけれど、これは決して琵琶湖だけではありません。例えば唐桑半島に一生懸命にブナを植えている、あるいはナラの木を植えている、そうした漁民達がいることを私たちは知っています。
 我々は先祖のころから木を山に植えることによってその根が水をためるだけではない、落ち葉が水を蓄えそれが結果として豊かな伏流水を育てることであることを知ってきました。そしてその知恵は今も決して無くなってはおりません。 今日ここに国土交通省の河川の関係者も何人かおられますが、この諸君が今、ネパール王国でその荒れる川、崩落する土砂を防ぐための砂防の技術を一生懸命にネパール側に移し替えをしているさなかです。この仕事に対して私は大変敬意を表しますけれども、同時に彼らに頼んでいることそれはただ単に土を止めるだけ、そこで止めないで、植林も併せて現地の人々に技術を伝播してもらいたい、それによって、下流のバングラディッシュを洪水から救うことまで是非一緒に考えて欲しい、私はそんなことを彼らに頼んでおります。 こうして考えておりますと、水に関する思いというのは語り始めればキリがありません。そしてそんな思いの中で私はこの第3回世界水フォーラムの運営委員会の会長をお引き受けをする決心を致しました。私自身のできる限りの努力を続ける覚悟です。しかしこの問題は人類全ての行動が求められており、第3回世界水フォーラムの道程を、そしてこの世紀を水の世紀としていくためにも、その舵取り役を私どもとともに歩み進んでいただくことができますように、みなさんのご協力を心からお願いを申し上げる次第です。水の惑星といわれるこの地球、その地球をおいて私たち人類が住む星は宇宙の中にありません。我々は将来に渡ってこの星で住み続けなければなりません。そのときに、水が人類滅亡のカギになるような、そんなことだけはどんなことがあっても避けなくてはなりません。このフォーラムの開催に向けましたムハマド・アブザイド世界水会議会長をはじめとする世界水会議のみなさんのご努力に対しましても、改めて心から敬意を表し、開会のご挨拶にさせていただきます。ありがとうございました。