日本はいかに退職ブームに備えるのか
2001年1月23日

行政改革担当大臣、元内閣総理大臣
衆議院議員 橋本 龍太郎


  ペール元ドイツ連邦銀行総裁、ディーニ元イタリア首相、シリー・ドイツ内相、ハムレ戦略国際問題研究所所長、ご列席の皆様、おはようございます。
  1年前、大雪が降ったワシントンの会合を今でも鮮明に覚えています。今回は国際金融の中心地チューリヒで皆様方と再会し、スピーチできることを大変光栄に思います。
  CSISがリーダーシップをとられスタートしたグローバル・エイジング・イニシアティブは、日米欧三極の各界選りすぐりの皆さんを集め、21世紀における先進国共通の課題である高齢化の進展への対応を探る極めて重要な作業であります。私の尊敬する友人であるペールさん、モンデールさんとともに共同議長を務めさせていただいていることは、日本における社会保障、福祉政策を言わばライフワークとしてきた私にとって大きな喜びであります。
  今日、私は「日本はいかに退職ブームに備えるのか」というテーマをいただきました。なかなか難しいテーマであり、まさに今回の会合を通じて議論が掘り下げられていくことを期待しますが、会合の冒頭のスピーチとして、この後の議論の参考としていただきたい点を若干申し上げてみたいと思います。

  さて、日本では第2次世界大戦終戦直後の1947年から1949年に、出生数が劇的に増加する、いわゆるベビーブームがおこりました。この世代は「団塊の世代」と呼ばれ、現在は50歳代初めです。1999年の人口推計では、50〜52歳は男女合わせ各年齢で平均230万人と、この前後が160万人程度ですので突出しています。この世代の子供の世代が第2次ベビーブーム世代であり、現在26〜28歳くらいですが、各年齢とも平均200万人とやはりその前後と比べ突出しています。最初のベビーブーマー達はやがて2010年代になると高齢者の仲間入りをしてまいります。そして彼らは、それに先立つこと数年前から退職年齢に到達いたします。
  一方、日本の65歳以上の高齢者は、1999年10月時点で2,100万人でした。厚生労働省の研究所の推計によれば、これが今後2015年までの間、各5年毎に300万人を超える増加を続け、特に増加のピークである2010年から2015年の間では、約400万人も65歳以上の人口が増加し、2015年にはその数は3,100万人を超えるとされています。 従って2015年までに1,000万人も高齢者が増えた場合、経済、社会の各方面に多様な変化をもたらしますが、特に、ダイレクトなかつ大きな影響を受けるのが社会保障制度であり、政府は高齢者に対して第1に公的年金を支払えるのか、第2に医療費を支払えるのか、第3に介護サービスを提供できるのか、という点が大きな問題となります。

  第1に公的年金の問題です。日本では1961年に国民皆年金が実現され、公的年金は現在、高齢者世帯の所得の約64%を占め、老後の所得保障の主柱として大きな役割を果たし、それは現役世代が高齢者を支える賦課方式により運営されてきました。現在、現役世代4人が1人の高齢者を支えている計算ですが、2025年には2人で1人を、2050年には1・5人で1人の高齢者を支えるという予測です。このため年金財政が将来、破綻するのではないかとの懸念もあります。 この破綻を避けるためには、ひとつにはここ数年続いている異常な低金利が是正され、年金資産の運用が適正に行われることが期待されますが、その他の対策としては、論理的に、給付の縮減か、拠出の増大か、政府の一般会計からの繰入れしかありません。一人当たりの給付削減に対しては高齢者から、拠出の増大に対しては現役世代から反発を受けるといったように、制度の改正は常に難しさを伴います。 世代間あるいは世代内の公平性を配慮し将来の現役世代の負担を過重なものとさせないという基本的考え方のもとに、将来にわたって持続可能な負担と確実な給付を実現するため、昨年の国会での議論を経て、制度の見直しを行いました。具体的には、@2000年4月から厚生年金の給付水準を適正化(5%引下げ)する、A厚生年金の支給開始年齢を60歳から65歳へと段階的に引き上げる、B2004年までに基礎年金の国庫負担率を3分の1から2分の1へ引き上げることなどがポイントでした。
  他方で、公的年金に上乗せされる企業年金などの年金制度は現在確定給付型でありますところ、これを補完する新たな選択肢として、私が導入推進の議員連盟会長として実現に努力してまいりました確定拠出年金、日本版401kが検討されています。国会での審議の途中にあって法案成立が遅れていることは残念でありますが、今年の秋頃には導入されるものと期待し、また考えています。確定拠出年金は転職の際持ち運べるポータビリティが備わっている点で、労働移動の円滑化に資するものであり、新しい時代の雇用形態に沿ったものでもあります。

  次に医療保険制度についてであります。1961年に国民皆保険を達成したわが国でありますが、1973年の老人医療費支給制度により70歳以上の高齢者の医療が無料化され、1983年の老人保健制度創設で定額負担の考え方を導入しましたものの、その後も高齢化とともに老人医療費が増大してきました。70歳以上の老人医療費は1983年に3兆3,000億円(約290億ドル)でしたが、1997年には10兆3,000億円(約900億ドル)と3倍以上、国民医療費に占める割合も23%から35%にまではねあがっておりますし、65歳以上ということでは約50%を占めています。このように高齢者に偏った医療費構造の下では、今後高齢化の進展とともに、国民医療費の大幅な増加が避けられなくなります。
 
こうした状況を是正し高齢者の医療費を適正化するため、医療保険制度の改正をこの1月から実施しました。70歳以上では定額負担から上限つきの1割負担を求め、69歳以下でも負担増を求めています。なお、皆保険の実現により国民の健康水準の維持に大きな貢献をしてきたわが国の医療保険制度を、高齢化の進展の中で将来的にも安定したものとして維持してゆくための方途について、現在、医師会、経済界を含む幅広い関係者の間で、真剣な議論が行われております。医療保険制度の改革については、関係者の間でそれぞれ主張があり、極めて複雑で難しい課題でありますが、政府は2002年の通常国会に制度改正関連法案を提出する方針です。そこでも高齢者医療制度の改革が中心的課題となるでありましょう。
  一方、病気予防の観点から、健康な状態で高齢期を過ごせるよう疾病関連の先端的研究を行う「メディカル・フロンティア戦略」も実行に移されています。病気知らずの元気な高齢者が増えて、かつ高齢者に雇用機会が与えられ、税や保険料の負担に応じてくれるならば、これに過ぎることはありません。

  最後に介護の分野ですが、昨年は大きな制度改革がありました。公的な介護保険制度の導入です。高齢者介護では、ドイツが保険方式、英国、フランスなどが税金を投入、米国が医療保険中心で独立した介護制度を持たないというように国による違いがありました。
  日本では、伝統的に世代間同居志向が強く、高齢者の子との同居率は1999年でも49・3%と他の先進国に比べて高く、高齢者介護は家庭内で、多くは女性の手によってなされてきました。しかし、女性の社会進出、核家族化の進展、さらには介護者自身の高齢化などにより、家族介護の限界があるため、これを社会全体で支える仕組みとして、国が主導して介護保険制度が導入されたのです。女性の就労に対する意欲が着実に高まっていることを背景に、おそらく介護保険制度の導入は、子育て支援と合わせて、女性のさらなる社会進出をバックアップすることにもつながるでありましょう。
  今回の介護保険制度の導入は、これまで税を財源とした公的福祉サービスとして実施されてきた日本の高齢者福祉の仕組みを根本的に変える大きな改革でありました。そのために、スタート時には現場での混乱も見られましたし、改善してゆくべき点も少なからずありますが、今後の高齢者に対する介護・福祉サービス提供の柱のひとつとなるべき制度であり、引き続き介護保険制度の意義を訴え、より良いものとして定着させてゆくことが必要と思われます。

 さて、日本では今後10年で15〜29歳の労働力人口が約400万人減少し、55歳以上は約380万人増加し、雇用構造においても高齢化が進む見通しです。このため企業は「より少ない若年とより多い中高年」という労働力供給の構造変化に対応しなければなりません。
  欧州の多くの国では、80年代に若年者の失業問題への対応として、高齢者の早期退職を促す政策をとりました。しかし、このための失業給付や年金などの費用増加が新たな社会保障負担として企業のコストに上乗せされたため全体としての雇用需要が削減され、結果的には若年者の雇用増加に結びつかないという苦い経験となってしまいました。高齢者の早期退職ではなく、逆にその就業継続が高齢化社会の負担を軽減することにつながるという教訓であります。
  日本国内でも議論のあるところではありますが、私は長期雇用というわが国の伝統的雇用形態は、これからも基本的には維持されてしかるべきものと考えています。定年については、我々が若い頃は55歳、今は60歳です。年金支給が段階的に65歳になってゆくこともあり、今後はおそらく65歳の方向に向かうと思います。ただし、年功序列賃金体系を維持することはますます困難になってゆかざるを得ません。逆に成果主義的な賃金体系への切替えによって、労働生産性を高め、企業・産業の効率化に逆行しない高齢者就労が可能となります。グローバル・エイジング・イニシアティブ委員の清家さんは、昨年「定年破壊」という本を書かれました。米国のような年齢差別禁止の考え方を取り入れるべきかどうかを含めて、議論を深めてゆかなければなりません。その先鞭をつける形で、意欲と能力がある限り年齢に関係なく働ける社会、いわゆるエイジフリー社会の実現をめざし、募集や採用における年齢制限の撤廃へ向けて行動することが、昨年12月に閣議で決定されました。若い労働力の減少をカバーするという量の面において、また、極めて多様な能力と経験という質の面において、高齢者の雇用参加が活力ある経済を実現するために不可欠です。別の言い方をすれば、高齢者を不可欠の労働力として組入れた経済・社会の仕組みを作ることが我々の避けられない課題です。
  ここでいくつか高齢者就労拡大のために必要な対応のポイントをあげておきたいと思います。まず労働需給におけるミスマッチの解消であります。トータルの需給関係上は整合的な高齢者の就労を、個々の労働毎に現実の就労につなげる作業が、スムーズに行なわれることが必要です。特に産業構造が大きく変化をしていくわけで、その下での労働需給のマッチングは必ずしも簡単なことではありません。日本で重要なブリッジング機能を果たしうるものが、職業紹介・人材派遣であります。この分野でいかに民間活力を導入した効果的、効率的な仕組みを作るかということで、私自身も深くかかわりながら、近年、規制改革を進めてきました。また、中高年齢層の能力再開発も重要な課題であり、雇用保険制度の運用を一層この分野に広げてきているところであります。
 
将来予想される労働力不足に対しては、当面は元気な高齢者にお願いするほか、女性の社会進出を一層促すべきでしょう。そのためには仕事と子育てを両立できるよう、例えば保育所の整備など社会全体で考えることが必要でしょう。なお、移民の受入れについてでありますが、日本は100年以上の長きにわたり、基本的には海外へ移民を送り出してきた側にありました。このため外国人労働者や移民の本格的導入については、こうした事態を経験したことがありませんので、その社会的影響などを十分に考慮しながら検討すべき課題であると考えます。

 
急速に進行する少子高齢化の国民経済に対する経済的インパクトについて、社会保障負担の増大に加えて、個人消費の減少、家計の貯蓄率の低下、労働生産性低下、競争力低下による産業の衰退といった破滅シナリオを強調する議論がありますが、私はこのような破滅シナリオに与するものではありません。むしろ少子高齢化という事態を経済成長のエンジンと見る角度からの検討も必要でしょう。専門家の議論に任せたいと思いますが、ひとつだけ21世紀の産業の展望ということであげさせていただくと、高齢化によって、医療や介護だけではなく、いわゆるバリアフリーやユニバーサルデザイン商品をはじめ高齢者のニーズに合った製品の供給、家事支援サービス、レジャーなど「高齢社会産業」とでも呼ぶべき産業分野が拡大し、産業構造審議会の見通しによれば市場規模は現在の39兆円(約3,400億ドル)から2025年には150兆円(約1兆3,000億ドル)にも成長すると期待されます。そこには元気で仕事をし、そして大いに物やサービスを消費するというアクティブな高齢者の姿が浮かんできます。
  しかし、もちろん高齢化社会に向かって日本経済の基盤を強固にするためには、財政始め様々な構造改革を進めなければならないことは、言うまでもありません。私は総理時代に行政改革、財政構造改革、社会保障構造改革、経済構造改革、金融システム改革、教育改革の6つの改革を同時並行的かつ一体的に進めようと考え、実行してきたので、改革の必要性を痛感しております。今回図らずも行政改革担当大臣として入閣いたしましたが、これも途半ばの諸改革に改めて身を挺せよとの天の声かと思います。

  新しい世紀の扉を開いたいま、私は改めて厳粛な気持ちで重要な課題に向き合っております。高齢化社会という言葉の持つ沈滞した老人社会という響きを、いかに生き生きとした明るい長寿社会のイメージに置き換えていけるか、私は21世紀の最初の10年がカギであろうと思います。
  グローバル・エイジング・イニシアティブの最後の会合は今年8月に東京で開催されますが、東京で再びお会いできることを心からお待ちしております。
  ご静聴有難うございました。