橋 本 大 臣 年 頭 挨 拶

平成13年1月4日(木) 3 階 特 別 会 議 室

 新世紀の幕開け、その幕開けとともに沖縄開発庁がその歴史を閉じ、内閣府の中の沖縄担当部局として、これからの責任を負う ことになりました。皆さんも様々な考えをお持ちだと思っていますが、私にもいろいろな思いが渦巻いております。

 昭和47年5月だったと記憶していますが、沖縄の本土復帰と同時に沖縄開発庁は、そのスタートを切る ことになりました。そしてそれ以来、3次にわたる振興開発計画をはじめ、本土との格差を少しでもあらゆる面において縮めていくために、大変な努力をしてこられたその歴史に改めて敬意を表したいと思います。

 そして今、 この瞬間、皆さんの前に立つ私にも非常に複雑な思いがあります。

 土光臨調以来、行政改革の掛け声が掛かる度に、様々な試行錯誤の中で、すぐに 沖縄開発庁はその存在の岐路に立たされた、そのような役所でした。(自 民)党の行財政調査会長時代にも、北海道開発庁、国土庁と3庁の統合といった命題を何回か私自身が突きつけられ、その度に本当にそのようなことができるのかと、沖縄開発庁が沖縄の方々のために必要がなく、それは 本土との格差が解消したということなのですが、そうなれば、それは沖縄 開発庁の使命は終わりですけれども、そんな日が早く来るといいですけれども、私は、マスコミの皆さんにも、あるいはその3庁統合を推進される 方々にも繰り返し申し上げてきました。

 今、残念ながら、完全に沖縄県、そして他の都道府県、格差がゼロではないということに変わりはありません。しかし皆さんのおかげで随分その差が縮まってきている、それは事実 です。そしてその点は、私は沖縄県の皆さんも、開発庁の諸君の努力というものに、敬意を表していただけるものと信じています。

 今回、中央省庁の統合の中で、沖縄開発庁はその歴史を閉じ、内閣府の沖縄関係部局としての仕事を従事することになりました。中に入った以上、一層その責任は重くなると、私は思います。それだけに今日までの歴史に対し誇りを持ちながら、新しい組織の中で一層努力を続けていただきたい。

 そしてただ単に、本土各都道府県との格差を埋めるという時代から、沖縄県自身の将来に向けての新たな姿を模索する時期に、既に入っていると私は思っています。

 昨年は九州・沖縄サミットの首脳会合を沖縄県で実施すると、この大きな行事を経験し、様々な変化がありました。今年はそうした派手なもの はないはずの年です。それだけに、新たな沖縄振興新法というものをお互 いに脳裏に描きながら、発展の可能性を模索していきたいといと、心から このように思います。

 今日までのご苦労に心から敬意を表するとともに、新しい世紀を迎え、新しい姿で沖縄担当部局としての役割を果たしていけ るよう、皆さんの格段の御努力を心から願います。

 私自身も全力を尽くそ うと思います、どうぞよろしくお願いします。ありがとう。
                              〜以上〜