Q&A
○司会 ありがとうございました。 生徒さんもいらっしゃっておりますので、質問などをお受けいただきたいのですが、よろしいでしょうか。
●橋本 余り難しいのはだめですよ。
○司会 生徒さんの方で、何かご質問のある方。
○質問者A お話の中にもありましたように、本校ではたばこの問題が時々取り上げられるんですが、近年またたばこの問題が持ち上がってまいりまして、それを解決するのはどのようにするのが一番よろしいと思われますか。(笑)
●橋本 それは在校生がOBに聞く話じゃないぞ。(笑)むしろ隣に校長先生がおられるんだから、PTA会長もおられるんだから、君たちが先生方、場合によっては父母会の皆さんに入っていただいて、そこで話し合って決めるべきなんじゃないかな。殊に教育の世界に僕らみたいな政治家が余り介入しない方がいい。(笑、拍手)
○質問者B 橋本先生の夢の中に、首相になるというものは含まれていなかったんですけれども、どうして政治家を目指されたんですか。(笑)
●橋本 全然目指してなかった。というよりも、僕は今でも本当に繊維が好きですし、繊維の仕事で自分が生きていこうと思っていました。綿紡績がいいなと思って、その綿紡績の中で、慶応の先輩がいるとうるさいですから、先輩の一番少ない、工場所在地が山に行きやすい会社、そうしたら、呉羽紡という会社が出てきました。私はその呉羽紡に希望どおり入れてもらって、紡績会社の現場、それから営業の仕事をしていました。
ところが、私の場合、父親も政治家でした。その父親が本当に予想もしない五七歳という年齢で死にました。ほかの方に地盤をお譲りして、家族は後ろに引いたんですが、半年ぐらいたって、その方が立候補しないことになって、結局、母かおまえか、どちらかが出ろといわれたものですから、そのころ二五でしたけれども、法定年齢ぎりぎりだし、二五でしくじってもやり直しはきくだろうと思って、「それじゃ、私やります」といったら、それっきりずっとここまで続いてきちゃった。(笑)だから、首相になるなんて夢は、大体政治家になろうと思っていなかったもの。
予定どおりだったら、今ごろ君のお母様にすてきなきれを一生懸命に売りつけていたはずだ。(笑)だから、そういう夢は狂うよ。(笑)
○質問者C 橋本さんも思い出がある屋上なんですけれども、ここ数年、麻布生の非行というか危険な行為とかによって、屋上が今閉鎖されているわけでして、一部の生徒が屋上委員会として活動して、開放しようという話が持ち上がっています。まだその成果は上がっていないんですけれども。そういう人たちもいるようなんですけれども、もし橋本さんが学生だったころにそういった閉鎖があった場合は、橋本さんはどうされたでしょうか。
あと、そういったとき、率先して開放を目指す立場にあったなら、できれば教師の攻略のポイントなどを教えていただければと思います。(笑)
●橋本 その非行というのが何を意味しているのか、僕は具体的にわからない。実は、屋上の屋上は、僕らのころも先生方から見るとしばしば問題だったんです。というのは、授業中に後ろのドアから抜けて、携帯燃料で飯盒でごはんを炊いていて、僕も捕まったことがあります。(笑)たばこを吸っていて見つかったこともあります。
ただ、そのころ、そういうのは本人はみんな物すごく怒られましたし、それから後しばらく屋上の屋上に登らせないように、先生方が厳重に見張っておられましたけれども、屋上の使用禁止という方法は私たちのころにはありませんでした。
ただ、それに近い騒ぎが一回あったのは、先ほど時計塔の方におりた話はしたんですが、実はその反対側で、ご近所に見える方向でザイル降下をやったとき、これは私が主犯じゃないんですけれども、ご近所から「大変危険だ」という物すごい抗議が学校にあったようです。このときはご近所の反応が余り激しかったものですから、逆に我々の方が、しばらく自粛しました。それと同時に、当時の麻布には随分悪知恵のある先生方がおられて、屋上の屋上に登りそうなやつを指名して、屋上の屋上を使わせないような見張りをさせられました。(笑)私の一年上に、今東京福原フイルムスの社長さんをしている近藤さんという先輩がおられます。これは山の方のがき大将です。その近藤さんとか、僕たちよりもやりそうな人が見張り番になっていましたから、その見張り番の方の腕がいいので、結局、余り問題になるようなことはできなかった。ですから、そういうやり方もあるんじゃないかなと思います。(笑)
中には、大変気の強い体練科の先生で、僕たちが登ったコースから屋上の屋上に上がってこられようとして、反対側からザイルをおろして、おりて逃げたことがあります。 結局、それで問題が起きれば、自分で責任をとれるか、さっきいったそこにかかってくるんじゃないかなと僕は思います。その結果がみんなに迷惑をかけるということであるなら、むしろこれは使用停止が続いても仕方がないと思うし、自分で責任がとれるなら開放し、そのかわりほかの諸君にも一定のルールの中で行動するように、仲間同士で議論をしていく、そういうことが大事なんじゃないでしょうか。
○質問者D 麻布は競争主義を採用していて、かつ、義務が多いように僕は思うのです。小テストの直しを出さなければ白点にされ、また、出たくもないような授業にも出ないと白点にされてしまう。それで、私は義務の多いこの学校にちょっと疲れてきたんです。(笑)麻布を何とか改革しようと先生にも話したりしたんですが、人間性は学校では育成できないとかいうふうにいわれたりもしまして、今この学校を出るべきかどうか考え始めたのです。そうしたら、当然大学などにも行けなくなるでしょうが、それを押してでもこの学校をやめるべきではないかと思い始めたのです。そこで、どうすべきかアドバイスをお願いします。(笑)
●橋本 今の質問に思ったとおりの答えをしていいかい。思ったとおりの答えをしていいとすれば、勝手にしろというよ。(笑、拍手)そのかわり、僕は、君は物すごく苦労すると思う。今の麻布がどの程度厳しいか、それは知りません。君が不必要だと思う授業はどういう授業なのかもわかりません。僕ら自身、例えば『源氏物語』の「桐壺」しか終わらないなんて先生の授業は、おもしろかったけれども、必要か不必要かといえば、余り必要ではなかったのかもしれないし、現に当時、父母会からは、受験に役に立たないということで、その先生は物すごく評判が悪かった。しかし、この年齢になると、逆にその先生が教えてくれたものは、ただ単に教科書ではなかった、自分で物を考えることを教えていただいたと、僕は今感謝しています。
だから、君が、そういうものがこの学校にないからやめるべきだと思うなら、それは本当に君の判断です。しかし、君が思い描いているような学校は多分ないだろう。それは大学に行くとか行かないとかいうことではなくて、君が麻布を嫌ってやめて、君の人生でどういう夢を描いて、何をしようとしているのか。それによって全く違うんじゃないだろうか。例えば何か専門の分野を持って、それを追い続けるとすれば、一つだけの知識で万全などというものはない。今「学際」という言葉があるように、学問と学問の境界部分がいろんな意味で問題になる。そういう多様化している中で、君がどういう自分の人生を組み立てようとするのか。それによって、まさにこれから追っていこうとする自分の夢、自分の人生に麻布が全くこたえてくれない学校だったのなら、別の道を選べばいいと私は思うけれども、恐らくそんなに君の思うとおりのものが与えられるばかりではないと思うよ。厳しいかもしれないけれども、僕はそう思う。
○質問者E 僕は、橋本さんと同じように、名前が龍太郎というんですけれども、(笑)初めまして。僕は、今まで自分の名前に結構誇りを持っていたので、橋本さんは自分の名前を今までどう思っていましたか。(笑)
●橋本 習字の授業のたびに、何でこんなに字画の多い名前を選んだんだと思っていました。それ以外では、僕はこの名前はとても好きでした。
たまたま私の父親は八人兄弟の男の五番目で、龍伍という名前でした。その龍伍の長男だから龍太郎という、親は実に単純につけたらしいんですが、習字のときに字画が多くて悩んだのを除けば、いい名前だなと思っていました。(笑)
○質問者F 僕も今、学校の成績が余りよくなくて、ふだんはここら辺のビワの木に登って、ビワを食べたり、新宿御苑に夜に忍び込んで、一人じめだなんていって、そういう悪さばかりしているんですけれども、合気道が好きで、週に三回、道場に通っているんです。来年高校三年生なんですけれども、合気道部をつくろうと思っているんです。先輩として何かアドバイスなどありましたらお聞かせください。
●橋本 それは、僕はすごくいいなと思う。それが本当に出てきたら、学校にもできるだけ考えてあげていただきたいと思います。その上で、今麻布の中を僕はよく知らないけれども、練習のスペースは大丈夫か。練習場所が確保できないと、なかなか認めてもらえないぞ。だから、逆にいえば、君と同じように合気道をやりたいという仲間が何人ぐらいいるのか。その仲間が練習できるだけのスペースを学校の中で使わせていただけるかどうか。
それよりも、正式に部をつくろうとするんだったら、その指導者になっていただける方があるかどうか。これは剣道部をつくるときにも、実はひっかかりかけたのです。たまたま「金太郎」というあだ名をつけた先生が剣道を少しやっておられた。後では大分開いちゃいましたが、スタートしたころには、生徒より少し強いぐらいの先生だったけれども、その先生が責任を持ってくださるということだったので、剣道部は認められました。それでも体育館の使用時間を確保するのは、そのころでも結構大変でした。ほかの部とその辺の調整を済ませて、剣道部の創設願を出して、受理していただけました。
だから、一つは、学内に君と同じように合気道をやりたいという希望者が何人ぐらいいるか。スペースはあるか。そして、指導に当たっていただける指導者が得られるのか。学内で得られないとすれば、外からどういう方が指導に来てくださるのか。やはりその辺をきちんとして学校に出さないと、学校としては責任が負える、結構ですという返事をいただくのはなかなか難しいかもしれない。
その中で一番の問題点は、いい指導者を見出せるかということです。殊に麻布の中におられない場合に、外から指導者を迎えることができるのか。外から迎える場合には、その先生に対する謝礼をどうするのかとか、いろんな問題が付随して出てきます。
例えば、今私は三田剣友会、慶応剣道部のOB会の会長でもあります。そして、外部から二人の師範を迎えています。その師範の先生たちにお支払いするお礼は、OB会が責任を持って集めています。時々出したがらないやつもいるので、それは脅迫しますけれども、(笑)それでも幸いに慶応の場合に、部ができてから長いものですから、OBの数もあり、二人の師範の謝金を集めるぐらいは、本当に学校に心配をかけずにできています。外から先生方をお招きするとなると、学校側にはそういう点まできちんとした上でなければ、許可が出せないということがあることは、あなたもわかってください。
○質問者G 先ほど教育の分野に政治家が口を出さない方がいいという発言があったと思うんですけれども、それはただの冗談なんでしょうか。(笑)それとも、政治家というのはそういう商売なんでしょうか。(笑)
●橋本 これはまじめに答えますけれども、麻布は長い間、OBでも政治家を学校の中の問題に余り関与させませんでした。私も政党人です。政党というのはそれぞれの考え方があります。しかし、それを学校の運営とか、学校の中に持ち込むことは、いいことだとは私は本当に思っていません。また同時に、教育が政治に左右されてはいけないと思います。私学はそれぞれに建学の精神を持っている。その建学の精神が私学の魂なんです。
麻布では、これまでにもいろんな危機がありましたが、私たちがお手伝いをしようと思ったときにも、それは学校として、父母会とご相談の上で、丁重にお断りをいただくのが常でした。ただ一回だけ、余り思い出したくない事件ですけれども、山内事件というのが起こりました後、私学振興財団、文部省と麻布学園が話し合わなければならなくなったとき、その仲介だけは私たちはいたしました。それも仲介であって、我々に麻布の中のことに口を出せとは、学校はいわれませんでした。
今、私は慶応の評議員の一人です。しかし、そこで話すときには、私はOBの一人として話しており、政治家としての話をしたことはありません。私は、私学というものはそういうものだと思っています。
それぞれの学校が、自分の学校の建学の精神をもとにして、それに向けて全力を尽くして指導を行っていくべきですし、それをサポートしていくのはOBであり、父母会ですが、受け継いでくれるのは現役の諸君です。政治という形で学校に介入すべきではない、これは私は冗談でいったのではありません。本気です。(拍手)
○司会 どうもありがとうございました。ちょうど時間となりましたので、この辺できょうの講演会は終わらせていただきたいと思います。(拍手)
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