より良い将来に向けての
日本のイニシアティブ」


2000年1月24日

橋本前総理のNY外交問題評議会における講演
1.序
  
  本日、権威ある外交問題評議会の皆様にお話しできることをうれしく思います。先頃、ナショナル・ジオグラフィック誌は、二〇〇〇年を記念して紀元〇年、一〇〇〇年、二〇〇〇年における世界の代表的な都市の生活を比較しました。紀元〇年はエジプトのアレキサンドリア、紀元一〇〇〇年はイスラムの後ウマイヤ朝のコルドヴァ、そして紀元二〇〇〇年は、ニューヨークでした。実際、世界経済の牽引車として力強い成長を続けるアメリカ経済の中心地として、世界中の富と人材とエンターテインメントが集まり、世界に対して日夜情報と文化を発信しているこの街は、なるほど二〇〇〇年の世界の中心と呼ぶに相応しいと思います。   さて、紀元一〇〇〇年頃の日本では、紫式部が京都で今日も読み継がれている源氏物語を執筆しました。同じく女性の清少納言も、エッセーを記し、今なお古典日本語の教材に使われています。この頃、日本では砂鉄の精錬による製鉄技術が完成しました。私が剣道をたしなむから申し上げるのではありませんが、日本刀が芸術品として完成されたのもこの頃です。



2.20世紀を振り返って

 
  さて、二十世紀はボーア戦争と義和団事件で幕をあけました。ヴィクトリア朝末期のこの時、人々は二十世紀には二度にわたる世界大戦、イデオロギーの冷戦、そして植民地からの解放があると、実は予測していなかったと思います。二十世紀は不思議な世紀に思えてなりません。これほど光と陰が交錯した世紀は他にありますまい。

(1)科学技術と経済の世紀  
  
何と言っても科学技術の発達とそれに伴う経済成長が世界をすっかり変えてしまいました。市民の生活もヘンリー・フォードの予言通り、「すべてのまともな給与生活者が車を買える」ようになり、乳児死亡率は劇的に下がり、インターネットにより居ながらにして世界中と情報の発信受信ができるようになりました。ニューヨークからロンドンに何週間もかかった手紙から電話へ、そしてその三分間の通話料金は一九六〇年の五十ドルから九九年には三十五セントまで下がったと聞いております。このように、科学技術の発達は、人々の生活を豊かにし、経済活動を活性化させ、膨大な富を生みだしました。  
   
しかし、富は全ての人々に均てんした訳ではありません。今日でも世界中で十三億人もの人々が一日一ドル以下という絶対貧困の生活をしていることを私は忘れたくありません。

(2)戦争の世紀  
  
科学技術と開明の二十世紀は、残念なことに、戦争と殺戮の世紀でもありました。二度の世界大戦とファシズムにより何千万もの人命が失われ、東西のイデオロギー対立による冷戦構造のもと、多くの人々が自由を奪われ、インドシナやアフリカでは長期化した戦乱が国土や社会を壊滅させました。  
   
このように矛盾に満ちた二十世紀でしたが、特に最後の十年間は、新しい世紀の序章として示唆に富むものでした。冷戦が終わって民主主義と自由が広まった反面、民族的対立や宗教に根ざす紛争がユーゴなどで燃え上がったのです。


3.提言

  
こうした中、私が総理をつとめた国日本がどのようなイニシアティヴをとろうとしているのか、まず二点申し上げたいと思います。

(1)チャリティーでなく、パートナーシップ

  一つは「チャリティーではなくパートナーシップ」に基づく幸せと安寧の分ち合いです。  
  富の偏在はみじめな人生をもたらすだけでなく、愚かしい紛争もしばしば引き起こします。イデオロギーのくびきから開放された今こそ、紛争の予防を念頭に置いた人造りや開発援助や良い統治の支援が重要となるのです。  
  これまでの援助は、とかく「富める者が貧しい者に施す」チャリティーの発想から語られることが多かったのですが、百八十八もの対等な独立国から成る今日の世界では、被援助国の国民・政府の「オーナーシップ」がまずあって、その上で連帯して皆の幸せを共に築いて行くべきと考えます。  
  地理的遠隔、歴史的無縁、政治的疎遠にもかかわらず、これまでシャイと言われた日本が率先してコソヴォの文民政府に日本人を派遣したのはこういう精神によるのです。また、普通の人々の幸せ、特に弱き者の幸せのための願いが「犠牲者ゼロ」を目指す日本の地雷除去活動です。二度にわたるアフリカ開発会議を東京で開催し、行動指向型の開発計画を八十国、四十国際機関、二十二NGOとともに策定したのも、このソリダリティーのためです。この行動計画では、良い統治と平和が開発の基盤であることも合意しました。

(2)市井の人々の参加と普遍的価値の促進
 
  さて、先ほど私は普通の人々の幸せに言及しました。これは、一人一人の市民が、二十世紀の繁栄に参画できることを意味します。参加、それは民主主義の出発点です。しかし、例えば、被援助国の歴史的文化的事情を無視し、特定の社会や経済のモデルのみを是とするアプローチが開発面でとられてこなかったでしょうか。これは相手を尊重したことにはなりません。そこで重要となるのが、「市井の人々の参加」による開発であります。日本は昨今、特に女性や子供の、教育、健康及び、経済・社会活動への参加を開発の重点分野としています。また、アジア経済の再生に向けて、総額八百億ドルに上る日本の支援策を実施する中で、社会的弱者支援を重要な柱としているのも、「市井の人々」こそが経済・社会を豊かにし、そして平和をもたらすと考えているからに他なりません。  
  民主主義国同士は戦争をしないということを経験的に実証した国際政治学者がいますが、平和な世界の構築のためには、日米両国が共有する自由、民主主義、人権の尊重といった普遍的価値が、世界中のより多くの人々に共有されることが重要であります。そのための第一歩が、「文化的多様性の尊重」だと思います。文化の多様性は人類の大きな資産であり、人類の文化を将来に向けて豊かかつ強靱なものとすることでしょう。この多様性の恩恵を国内で実現しているのがまさにアメリカ合衆国だと信じます。これからは、グローバル化が急速に進んでいる中で、各国が自らの伝統と文化、アイデンティティに誇りを持ちつつ、他者のそれを認め、尊重することがより重要となります。そのために必要なのは、異なる歴史や文化に関心を持つことであり、地域専門家の育成であります。些か脱線になりますが、聞くところによりますと、米国の主要メディアの中には、東京支局に日本語ができる記者を派遣していないところがある由ですが、日本の社会と文化をより正確かつ深く把握するためには、日本の人々や書物に直接アクセスしうるような日本語を理解する記者が派遣されることを強く望みたいと思います。



4.日本の挑戦


(1)アジアの平和と安定の確保
 
  それでは、ここで日本周辺の情勢について少し具体的に述べてみたいと思います。まず日本がアジア情勢に影響を及ぼしうる各国と安定的な関係を維持していくことは、アジアの平和と安定を維持していく上で不可欠なことと考えます。  
  日米関係が日本にとり最も重要な二国間関係であることは今や確立した認識であり、その趨勢は各国からも注目されております。また、朝鮮半島及び東南アジア情勢の安定には強固な日米協力が不可欠であります。我が国は軍事的役割を増大させることは考えていません。安定を重視する日本自身が不安定要因となることは自己否定に繋がるからです。日本は各国の立場について透明性を高め、各国間の信頼関係を強化していくことに一層努力していくべきです。私の総理在任中に始まった日中韓とASEANの首脳会議は、アジア諸国の首脳が一堂に会して議論することを可能としていますし、昨年は、その機会に日中韓の三ヶ国首脳朝食会が実現しました。特に議題を設けない自由な意見交換でしたが、これまで多国間の会合に出席することに慎重であった中国が首脳レベルで日韓両国首脳と話しあったことには、注目すべきでしょう。  
  また、私の総理在任中に米国の協力を得てAPECにロシアを迎え入れたことが思い出されます。その後、日ロ間では安全保障対話が進み、今やロシア太平洋艦隊と日本の海上自衛隊の共同訓練が行われるまで関係が深まっています。このように、多国間の場を通じて参加国間の対話が進展していることは喜ばしいと思います。  
  我が国は、今年七月にG8の九州・沖縄サミットを開催いたします。七年ぶりにアジアで開催されるサミットであり、グローバルな視点に立ちつつも、アジアの関心も十分に反映した、明るく力強いメッセージを世界に向けて発信する機会としたいと考えております。  それでは、日本が今後、アジア情勢に関して如何なる外交努力を展開していくか見ていきたいと思います。
イ)中国
 
  中国はその人口・経済規模や近年の活発な外交活動から見ても、二十一世紀において一層国際政治・経済における重要なプレーヤーとなると思われます。こうした中、アジア・太平洋地域の安定と繁栄の確保のため、中国を国際社会において、より一層建設的なパートナーとすることが、我が国の対中政策の基本であります。特に日本は、経済協力等を通じた改革・開放政策の支援、及び二国間・多国間の対話を通じた協力関係の推進に力を入れています。なかでも日中防衛交流は、防衛にたずさわる者同士の相互理解、信頼関係を増進し、地域の安定に資するものであり、私は、総理在任中に、この分野の対話・交流の推進に力を入れました。我々と中国の間には、体制や、考え方の違いが厳然と横たわっています。だからこそ、このように二国間、多国間いろいろな場を通じ、重層的に中国と国際社会とのつながりを強めることが重要です。  
  中国の今後を予測する上で、江沢民国家主席を中心とする集団指導体制が軍部をはじめとする国内をどの程度掌握しているかが重要な要素となります。そこで私が注目したのは、九十八年の洪水災害への対処でした。中国では、歴史上、水を治める者が天下を治める(聖天子)というくらい、為政者にとって治水は政治上重要な意味を持ってきました。一九九八年の長江の洪水は、被災者数二億三千万人、被害総額は国家予算のほぼ三分の一という深刻なものでした。この洪水に対して、それまで人民開放軍を直接指揮したことがない建国以来初の指導者であった江沢民主席が、自ら洪水被災地に幾度も赴いて救済に当たる人民解放軍の陣頭指揮を直接とり、目に見える成果を上げました。これは、江沢民主席が軍内部の権力基盤を強化する結果となったと思われます。その後の昨年十月の建国記念日の軍事パレードでの様子、自らの後継者候補たる胡錦濤副主席を中央軍事委副主席につけたこと、さらにマカオ返還式典における江沢民主席の自信に満ちた言動をはじめとした最近の中国の政治動向からみて、私は、江沢民主席の集団指導体制はかなり強固となり、確立されたと考えております。  
  中国に関して私が一番注視しているのは、中台関係です。「両岸関係は、少なくとも特殊な国と国との関係」とする李登輝発言以降、両岸間の対話は中断したままであり、九十六年春のミサイル危機の際も戦闘機の洋上飛行を行わなかった中国が、ロシアからのスホイ二十七の輸入増加やライセンス生産の開始を経て、中台中間線まで飛行するようになっています。三月の総統選挙に向けては中国は事態を静観しており、九十六年三月のような事態が起こるとは現時点で考えてはおりませんが、中台関係が両岸の当事者間の話し合いを通じて平和的に解決されることを希望する旨を我々が繰り返し伝えることが必要と思います。
ロ)朝鮮半島  
  続いて、短期的には最も大きな地域の不安定要因である、朝鮮半島に移りたいと思います。  
  まず私は、ペリー調整官のアプローチを全面的に支持していることを申し上げたいと思います。特に、昨年九月の米国による対北朝鮮制裁の一部緩和の発表や北朝鮮による米朝高官協議が続いている間はミサイルを発射しない旨の発表を歓迎します。我が国と北朝鮮の関係には、依然として厳しい側面があるものの、十二月下旬には日朝国交正常化交渉再開のための予備会談が開催されるなど、全般的には対話が軌道に乗りつつあります。  
  日朝の国交正常化とは、第二次世界大戦後の五十五年に及ぶ正常でない日朝関係を正すことであり、法的・政治的に多大な困難が伴う作業であります。そのためには、日朝間が対話を進め、信頼関係を培っていくことが必要であり、その道のりは容易ではありません。しかし、現在は日朝間の対話のまたとない好機であり、私は、「小異を捨てて大同をとる」との精神で臨むべきであると考えております。その際にも基本となるのは、日米韓三ヶ国による緊密な連携と、「対話と抑止」のアプローチであろうと思います。  
  ロシアにおいては、昨年末、エリツィン大統領が突然辞任しました。エリツィン大統領の下でロシアが改革を進めてきたこの八年間を振り返ると、過去に民主主義と市場経済を経験したことのないロシアによる民主化・市場経済化改革が如何に大きく困難な事業であるかという認識を新たにします。同時に、この期間を冷戦時代と比較すれば、ロシアが民主的な国として発展していくことが国際社会にとって如何に大きな利益であるかが実感できるでしょう。ロシアにおける改革は、まだまだ長い時間を要する事業であり、我々としても、これを長い目で見て粘り強く支援していくことが重要です。  
  エリツィン政権下の外交政策の基本をなしていたのは、ロシアの国益を守り、「米国による一極支配」に強く反発しつつ、同時に、米国との協調を重視してこれを追求するという現実的な路線でした。エリツィン大統領の後継者がこのような現実的な外交路線を継承することが、米国にとっても日本にとっても利益になると考えます。
ハ)ロシア  
  我々の側からは、国際社会へのロシアの統合、特にアジア太平洋地域への積極的参加を更に促すことが、引き続き重要な課題となるでしょう。  
  日露関係については、私の総理在任中、特に大きな進展が達成されました。特に平和条約交渉に関しては、東京宣言に基づき、即ち、北方四島の帰属の問題を解決して、二〇〇〇年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで合意しました。両国間においては、現在もこの合意に基づいて、平和条約締結に向けての真摯な努力が進められています。  
  日露関係の進展に尽力してきたエリツィン大統領の辞任は、日本にとっても残念なことです。しかしながら、我々がスタートさせた日露関係改善の趨勢は、既に「歴史の流れ」ともいうべきものになっており、政権の交代に拘わらず、両国によって更に推し進められていくものであると確信しています。

(2)日本の改革  

  以上、日本としての世界観と近隣諸国との関係について述べて参りましたが、それを可能とするためには、日本自身が活力を持った、強靱な社会と経済を前進させていく必要があります。  
  そのためには、第二次世界大戦後五十年間日本を支えてきた経済社会システムが内外の環境の変化の中で深刻な限界を露呈していることを直視した上で、二十一世紀に相応しい経済社会システムに再構築することが必要だと確信しています。私はこうした考えに基づき、総理在任中に、金融システム改革、経済構造改革、財政構造改革、社会保障構造改革、行政改革、教育改革の六つの改革に取り組みました。本日はこのうち、最初の三つの改革について簡単にふれさせて頂きます。  
  九十六年当時、欧州において新通貨「ユーロ」が登場することを目前に控え、円の地位を向上させる必要性を私は痛感していました。円が国際通貨の一角を占めることは、日本の対外投資家の為替リスクを軽減し、日本から世界に資金還流を進めていく上でも重要です。他方、東京市場が国際市場として活性化しない限りは、円が真の国際通貨として育つことはあり得ないと考え、日本の金融資本市場の自由化、国際化を一挙に進めようとしました。これが金融ビッグバンでしたが、既に多くの改革が概ねスケジュール通りに実現され、東京市場は再びダイナミックな国際市場として蘇りつつあります。  
  企業が国を選ぶ時代を迎えている中において、高コスト構造などを抱えた我が国が経済活動の舞台としての魅力を失いつつあるのではないかとの危機感を抱いていました。こうした危機感を背景に、経済構造改革を進めるため、徹底的な規制緩和の断行や新規事業の創出に取り組みました。例えば、持株会社を解禁し、ストックオプションも可能にしました。情報通信分野の規制緩和も進めた結果、今では携帯電話の普及率は四割を超え、米国を上回っています。更に、本年三月末には四百八十万台の携帯電話がインターネットと接続する見込みです。  
  財政構造改革については、景気の急激な落ち込みのため、一時的に凍結せざるを得ませんでした。しかしながら、財政状態の悪化という現実から目をそらすことはできません。景気回復とともに、再び財政健全化に向けた努力を段階的に進めて行くことが必要だと考えています。  
  二十一世紀の日本のためには、これからも、六つの改革を進めて行くことが必要だと私は確信しています。そして六つの改革を進めることを通じて、日本が変わり、活力に満ちあふれた経済社会システムを再構築できると強く期待しています。



5.結び


  夢と信念、これは米国が僅か二百年で世界のリーダーとなった原動力だと思います。私は、一国のリーダーたる者自らも夢と信念をもって行動し、そして国民一人一人が、老若男女を問わず夢と信念をもって人生を生き抜けるような国造りをすべきだと信じています。その夢と信念を皆様と分かち合えれば望外の幸せであります。  
  ご静聴ありがとうございました。