「日本の高齢化への挑戦」
2000年1月25日

 「日本の高齢化への挑戦」  モンデール元米国副大統領、フェアバンクス戦略国際問題研究所(CSIS)所長、ご列席の皆様、おはようございます。ご紹介いただきました橋本です。  

 この度、CSISがリーダーシップを取られ、日米欧三極の各界の選りすぐりの皆さんを集め、グローバル・エイジング・イニシアティヴをここワシントンをスタートに開始される事を本当に喜んでおります。昨年三月にゼーリックCSIS前所長から共同議長のご推薦をいただきました。 私自身、日本における社会保障、福祉政策をライフワークとしており、こうした問題をグローバルに考える事の大切さを痛感しておりましただけに、感激の中で共同議長をお引き受けした次第です。  

 共同議長のモンデールさん、ペールさんは何れも私の尊敬する良き友人です。モンデールさんとは駐日米国大使でいらっしゃった間、私は通産大臣として、また内閣総理大臣としていろいろな場面でご一緒に気持ちの良い仕事をさせていただきました。またペールさんは、ドイツ連邦銀行総裁として東西ドイツ統合の際の交換レート決定と言う難しい仕事を見事に纏められましたそのご苦労を、私は大蔵大臣として、尊敬の眼差しで見守っておりました、同時に財政、金融問題でしばしば激しい議論を闘わせた間柄でもあります。  

 この親しい友人達と共同議長を努める事は本当に光栄であり、幸せです。   

 私は1963年に衆議院議員に初当選して以来、厚生政務次官、厚生大臣、運輸大臣、大蔵大臣、通産大臣、そして内閣総理大臣を務めてきましたが、この間一貫して社会保障、福祉政策に係わってきました。

 実は私の父、橋本龍伍も政治家でした。彼は幼い頃から11年間闘病生活を送り、生涯、杖を離せない身体でありました。第二次世界大戦の前、日本では身体障害者の上級学校への進学が認められていませんでしたが、彼は自ら文部省に直談判して障害者に上級学校への受験のチャンスを与える道を開き、大学を卒業して国家公務員となり、その後政治家に転進、厚生大臣2回、文部大臣を務めた人でした。  

 私は幼い時から障害を背負いながら仕事に取り組む父の背中を見て育ちました。父の死後、政治家になって以来今日まで、高齢者や各種の障害に苦しむ方々、社会的に弱い人々が差別される事なく、安心して能力に応じて仕事の出来る社会を実現する事が政治家としての私の原点であり、国のもっとも重要な責務の一つであると確信しております。  

 1996年のリヨン・サミットで、日本の首相として私が「世界福祉構想」を提案し、世界的に高齢化が進む中で、増大する社会保障負担をどうするのか、どのような仕組みがもっとも効率良く国民の求めにこたえる事が出来るのか、先進各国の社会保障分野の智恵と経験をアジア等の発展途上国にどのように移転するか等のテーマについて、サミット首脳間で議論する事を提案したのもこうした思いからでした。  

 今回のCSISのご提案は、この「世界福祉構想」と共通するものとして、本当に興味深いものであり、最終提言の取りまとめに向けてお二人の共同議長、委員の皆さんとともに全力を挙げて行きたいと思います。  今日、私に与えられたテーマは「日本の高齢化への挑戦」です。幾つかのポイントからその特色を挙げてみましょう。  

 その第一は日本の高齢化が、かって人類が経験した事のないスピードで進んでいる事です。1947年、日本の男性の平均寿命がはじめて50歳の壁を超えました。委員各位も既にご存じのように、1998年の日本の平均寿命は男性が77・2歳、女性が84・0歳です。一方で、女性が一生の間に産む子供の数を示す合計特殊出生率は、1998年で1・38人であり、平均寿命の伸長と少子化がこうした状況をもたらしました。  

 65歳以上の高齢者の全人口に占める割合、いわゆる高齢化率は1998年で16・2%ですが、2025年には27・4%と予測されております。同じ時点でイタリアを除く欧米諸国の高齢化率は20%前後でしょう。また、高齢化率が10%から20%になるのに要する年数は、日本では1985年から2006年の僅か21年であるのに対し、欧米諸国は何れも40年以上かかると言われており、米国、英国が20%を超えるのは夫々2028年、2021年です。このままで行くと、日本の人口は2007年にピークに達しその後は減少する事になります。日本が世界で初めて、まだ誰も経験した事のない急速な高齢化の試練に立ち向かう国となることは間違いありません。  

 ところで私の総理大臣在任期間は日本の史上第六位ですが、新記録もあります。総理官邸に入った時、孫は2人でしたが、官邸を去る時、孫の数は6・5人に増えていました。6・5人が7人になったのは一昨年のクリスマス当日、産まれたのはニューヨークです。今年中に後二人増えますが、孫の親、つまり私の子供は2男3女ですから、我が家は挙げて少子高齢化と戦っていると申し上げても良いと思います。

 第二に強調したい事は、高齢化は負の側面だけでは無いと言う事です。今回の会議の主題は、「灰色となる先進国」(Graying of the industrial World)です。高齢化社会と言う時、確かに老人が多く活力の無い社会というイメージが浮かびがちですが、長寿社会と言い換えた時、違った風景が見えてくるのではないでしょうか?そもそも長寿社会は人類の理想でした。不老長寿を求める中から、錬金術が発達し、そこから近代科学が生まれてきたはずです。

 平均寿命のレベルはその国の社会的、文化的、経済的諸条件の到達水準であると言われておりますが、わが国は第二次世界大戦の後、半世紀も経たない内に、世界一の長寿国となりました。 これは私の持論ですが、このような長寿社会を実現させた様々な施策、すなわち年金、医療分野における国民皆保険の実施、上水道の普及、医療制度やシステムの整備、教育制度の普及、地方自治体への助成などのノウハウこそ、自国民の健康維持に悩むアジア等の発展途上国に伝え、提供すべきわが国の財産ではないかと思っています。

 このようなシステムやノウハウの移転と言う形での国際貢献こそが、科学技術の提供とともに、わが国が積極的に推進する事により大きな実効が期待でき、相手からも喜ばれる本当の貢献ではないでしょうか?  

 「世界福祉構想」や、リヨン・サミット後の1996年、沖縄で開催した「東アジア社会保障担当閣僚会議」は、まさにこうした私の信念に基ずくものであります。  

 同時に高齢化社会は、一方において、新しいビジネスや雇用機会を生み出し、経済の活性化に寄与する面が有ることも指摘したいと思います。例えばわが国では、2000年4月から介護保険制度が始まりますが、これにより民間企業が介護サービスに参入する事で、あらたな雇用機会が創出されます。今後、高齢者の増加に対応して、高齢者向けの新しい住宅や商品・サービスも開発されるでしょう。日本のあるシンクタンクによると、介護ビジネスの市場規模は2040年に20兆円(約2000億米ドル)と試算されています。   

 第三に、高齢化問題に取り組むに当り、各国間の共通点と相違点を明らかにしなければなりません。CSISは、高齢化は先進国共通の現象であると問題を提起されました。確かに高齢化の問題意識は基本的部分では共通する部分がありますが、その解決策については、夫々の国の歴史や文化、現在のシステムを踏まえて考えなくてはなりません。  

 日本の場合、儒教思想の影響もあり、伝統的に世代間同居志向の強い国です。高齢者の介護は、まず家族内で支えると言うのが通常でした。今核家族化が進展し、複数世帯同居が減少しつつあり、家族による介護に限界があると言われておりますが、最近の統計でも高齢者の同居率は50・3%と依然として高く、欧米諸国と比べ如何に同居志向が高いか御分かりいただけると思います。この世代間同居の中に隠れていた問題が、今私達に深刻な課題を突きつけております。第二次世界大戦中、日本では330万余の青年が亡くなりました。その結果、恐らく200万を超える女性が結婚の機会を失い、家庭に残ったでありましょう。この方々は戦後の複数世代同居の中で、家庭内の高齢者の介護の担い手となり、今日では逆に介護を受ける立場になっておられます。しかもこの方々には介護してくれる家族がありません。  

 医療についても、日米の間には相当な考え方の差があります。日本の医療制度、国民皆保険などが今日の長寿社会を築き上げた最大の要因の一つで有ることは先にも触れた通りです。 所得の低い人々の為に国民健康保険制度が創設されてから既に60年以上経っているわが国でも、医療の国民皆保険に踏み切るには様々な論議はありましたが、今日国民の義務であると同時に権利として国民生活の中にしっかりと根付いております。  

 勤労所得の一定割合を拠出することにより、万一の場合、安心して医療サービスを受ける事が出来る事は何にも替えがたいものであり、こうした日本の医療制度・システムの基本原則であり、おおもとにある考え方が「医療の公共性」という理念です。  

 他方米国では、医療費は私的保険で賄うのが普通であり、医療機関は会社経営による純粋な「ビジネス」となっています。  

 また米国には民間医療保険に採用されている「診断群別定額医療費支払い制度」、DRG-PPSと呼ばれる制度があります。医療の世界にエコノミック・パフォーマンスを持ち込んだと言われる制度ですが、このシステムの下では手抜き医療を招く不安も指摘されており、米国内でも一部に批判がありますが、医療費の膨張を防ぐ効果も認められており、いずれにせよメリット、デメリットについてきちんと研究して行く必要があります。  

 私が厚生大臣であった1979年頃から80年代の半ばにかけて、しばしば日米間で医療が論議の対象となったことがありましたが、御互いの考え方の違いを理解しあうのに随分時間を要し、苦労しました。  

 ごく一部の例を御話しましたが、このように国によって歴史的、社会的背景が異なるので、高齢化社会への対応を考える場合にも、共通点、相違点を明確に認識した上で、夫々の国情に合った解決策が必要になるでしょう。  

 最後に指摘したい事は、高齢化に伴う問題は御互いに関連しており、一体的に捉えなければならないと言う事です。  

 高齢人口の増加に伴い、増大する社会保障負担の財政に与える影響、若年労働人口の減少が日本の経済の活力にどう影響し、生産性を維持し、活力を保つのに何をなさなければならないか?相互に関連し、同時に発生している課題の解決を、今、我々は迫られております。  

 私は総理時代、行政改革、財政構造改革、社会保障構造改革、経済構造改革、金融システム改革、教育改革の六つの改革を同時並行的、一体的に進めようと考え、スタートを切りましたが、私は高齢化に対する対応は20世紀中に終わっておかなければならない課題だと捉えておりました。  

 今回のCSISのご提案はさらに一歩を進めて、金融市場や安全保障との関係にまで広げて検討しようとするものであり、各国がそれぞれの経験や蓄積に基ずき協力し、議論する事は本当に意義深いものと評価します。  ここで今、日本で進行しつつある改革の動きに触れたいと思います。  

 今後起こる一つは、高齢者や女性の一層の労働市場への参入です。現時点でのわが国の失業率は残念ながらけっして低くありません。しかし、すでに生産年齢人口の減少が始まっているわが国が、経済の活力を維持する為に必要な事です。OECDの統計で労働力率を見ると、1997年時点で欧米に比べて圧倒的に高く、生きがいを求めて働きたい高齢者が多い事をしめしています。  

 既に就労構造にも変化は起きつつありますし、年金制度の改正の動きとの関係もあり、60歳定年制の定着している中で、60歳以降の再雇用、定年延長も話し合われております。ワークシェアリング、ボランティア活動など我々が遅れている分野は欧米の皆さんから学ばせていただきたいと思います。  

 女性の社会進出を一層し易くするため雇用機会均等法を充実する事をはじめ更なる基礎条件の整備も急がなくてはなりません。  

 年金や医療保険制度の改革も急務です。私は従来の公的年金制度、医療保険制度は基本的に維持すべきだと考えてきました。しかし高齢化の進展が急速であり、このままでは将来制度が危殆に瀕する事、おおきな財政逼迫要因となっていることも事実です。   

 現在高齢者の平均的所得の63・6%を占めている公的年金は老後の所得保障の主柱として大きな役割を果たしておりますが、急速な高齢化に加え、ここ数年の低金利が各種年金の財政の悪化を招いています。今国会での大きな課題の一つが、年金の適正な給付と負担と言う観点から、厚生年金の給付水準の適正化、支給開始年齢の60歳から65歳への段階的延長を内容とする年金改革法の審議ですし、公的年金を補完するものとして、米国をモデルとした日本型401Kプランも2000年度中の導入を目指しています。  

 医療保険制度については、皆保険の実現によって国民は貧富の差にかかわらず、全国どこの医療機関でも受診できますし、患者の自己負担も20%未満に抑えられており、国民の健康水準の維持に大きく貢献しております。しかし、その半面、コスト意識の希薄化、過剰診療、在院日数の長期化など非効率化に繋がるという強い批判もあります。   

 国民医療費は1999年度では30兆円を超えると予想されています。国民医療費の対GDP比率は1997年度時点で7・5%であり、欧米諸国に比較して必ずしも多いとはいえませんが、その伸び率は毎年経済成長率を上回っており、制度改正は焦眉の急となっております。基本的に改革するためには診療報酬体制を根本から見直し、薬価差益に依存しないで医療機関が経営出来るようドクタース・フィーとホスピタル・フィーを分離する事を始め様々な改革を必要としていますが、全体として、かつ将来的にも安定した医療制度、医療保険制度を維持して行く事は充分可能です。欧米諸国を参考にしながら本人負担にかかわる部分に着目した新しい保険商品が開発されれば、公的保険制度を補完するものとして私保険を制度の中に組み込むことも考えるべきです。  

 最後に介護の問題があります。先ほども申し上げたように世代間同居志向の強いわが国では、従来は高齢者の介護は家庭内で、多くは女性の手によってなされてきました。しかし女性の社会進出や介護者自身の高齢化が進むなど、これまで介護をになって来た家庭の対応能力が著しく低下し、要介護者の人間らしい幸せを守るとともに、家族の負担を軽減し、女性の社会進出をバックアップするためにも、家族が支えるとの認識だった介護を社会全体で支える仕組みに変えるべきとの考えから介護保険が創設され、本年の4月からスタートする事になりました。1993年200万人であった介護を必要とする高齢者は、2025年には520万人に増加すると予想されております。  

 この問題を考える時、わが国の家族形態との関連を考えなければなりませんが、私には核家族化が進行して行くのか、世代間同居が家族制度の主流であり続けるのか確たる見極めがつかずにおります。しかし私の知る限り、多くの御年よりの皆さんは在宅介護を希望しておられると思いますし、自分で親の世話をしたいという家族の方も多いと思います。ですからわが国においては在宅介護、施設介護の二つの選択肢を用意して、要介護者やご家族の意向を尊重していずれかを選択可能にするような制度が望ましいと思います。  

 在宅介護の場合、家庭におもむき、家族とともに介護に当る職業としての介護専門家を育てる必要がありますが、ここにも新たな雇用が生まれるでしょう。  

 日本の高齢化に対応して私が考え、進めて来たのは欧米諸国のいずれとも異なる、日本の文化や風土に見合った「日本型福祉社会」を作る事でした。例えば医療保険制度、年金制度については国民皆保険、国民皆年金の枠組みを維持しつつ、それに私保険を組み合わせることにより個々人の自由な裁量の余地を残す、介護については在宅介護と施設介護の選択が可能な仕組みにする、高齢者に就業機会を与える企業に対し、税制面で優遇措置を講じるなど、福祉と経済成長のバランスをとるための施策も必要です。  

 勿論、急速な高齢化の進展の中で、国民の負担増なしに「日本型福祉社会」ができるなどと思っているわけではありません。  

 1996年の国民負担率は36・4%でした。ほぼアメリカ並みであり、ヨーロッパ諸国に比較してまだ低い水準にありますが、夫々の制度を今のままにしておけば、社会保障にかかる給付の増大に対応できなくなる事はまちがいありません。私は高齢化のピークにおいて国民負担率を50%に抑えたい、出来れば少しでも下回りたいという数字を国民に対して語りかけてきました。  

 その中で社会保障の財源問題では、基本的に保険方式を維持すべきだと考えています。日本では現在年金、医療、雇用対策についても保険方式で運用されていますが、保険方式は給付と負担の関係が明確になり、国民に受け入れられやすいと言う事によるものだと思います。  

 財源については、最近議論が本格的に始まったばかりですが、消費税の福祉目的税化の議論も盛んです。しかしこれは福祉財源の制約に繋がりかねず、昨年末の政府税制調査会でも、消費税の福祉目的税化は慎重に検討すべきであるとの意見が多数を占めました。   

 以上申し上げてきたように、日本の高齢化への挑戦の道のりは容易な物ではありません。しかし私はこれらの課題は解決不可能なものではない、これを解決して行く事こそ政治の責任だと考えてきました、今もそう考えております。  

 多くの叡智を集めたこのグローバル・エイジング・イニシアティブの皆さんとの議論の中から「日本型福祉社会」の実現に向けた良い知恵を引き出し、私のライフワークを完成させたいと願っております。ご静聴有難うございました。