ドイツ(グローブ総会)でのスピーチ全文


  トム・スペンサー総裁、ご列席の皆様、今回、グローブ・インターナショナル第14回総会の開会にあたり、この様な演説を行う機会を頂きました事を心から光栄に思います。

 まず始めに、グローブ・インターナショナルが十年目を迎えた事を、グローブの一メンバーとして、皆さんと共にお祝いしたいと思います。また、新たな千年期を控えたこの重要な時期に、グローブ・カウンシルの議長という極めて重要な役割をあたえられた事は、この上ない光栄であり、喜びです。

 私はグローブを構成する一人の議会人であるだけではなく、日本の総理大臣をつとめた経験を生かし、グローブに新たな力を注ぎ込み、私達すべてが直面する地球的規模の環境問題に対し、全力を尽して私に課せられた責任を全うする決意です。 さて、ここで地球環境問題への世界的取組について、私がかねがね考えている事を申し上げたいと思います。

 まず第一に、しばしば指摘されている通り、全人類的な発想の転換が求められている事です。産業革命以降、我々は革命的に功利主義の立場に立ち、大量生産、大量消費が人類の幸福を生み出すと考えて来ました。しかし、人類が地球環境自体の自停能力を超えるような活動を行うに至った現在、我々には「持続可能性」という制約が課せられるようになりました。もはや私達は無制限の自由な活動を行う事は許されません。全人類的な公益を確保する為、内在的な制約が課せられているのです。一人一人の個人の権利が、また、国家の主権が、この「全人類的な公益」とどのようなバランスをとって行くべきなのか、この事がかってなく真剣に問われております。地球環境の問題は人類文明のあり方を問いかけるものです。私達はこれまでの経済社会システムを大転換しなければなりません。

 人類は地球の蓄えている富の盲目的な消費者、すなわち「地球の寄生虫」であってはなりません。人類は地球生態系の一員として、あたかも細胞が組織の大きな動きを支えているのと同様に、地球の生命圏全体の維持に対して責任ある役割を自覚し、果す必要が有ります。最近の生物学の進歩、複雑な組織についてその科学的な分析は、私達に新たなる文明の可能性を示唆しております。来るべき世紀は生き物に尊び、生き物に謙虚に学び、数十億年にわたって発展を続けてきた生物の世界の知恵を人間の社会にも活かす世紀にしなければなりません。

 同時に第2点として指摘したいのは、地球的規模の環境問題の取組みは、「公正」という概念を軸に捉える事が不可欠だという事です。例えば、過去に手に入れたことの出来る資源や技術をフルに利用し、そのおかげで経済発展を図って来たことのある先進国が、現在途上国内での環境保全の不徹底を云々することは、その発言が的確であってもその途上国の人にとっては受け入れるのに抵抗があるでしょう。その様な議論は、時代をまたいだ公正に反すると見られるからです。また、途上国に先進国と同様の厳しい環境基準を課すべしとの議論も同様に受け入れがたいものです。それは発展段階の違いを視野に入れない公正を欠いた議論と思われるからです。さらに、歴史的、民族的に海洋資源に多くを依存して来た国に対し、そうでない国が盛んに海洋資源保護を唱えるのも公正ではないでしょう。その国の依って立つ背景を捨象してしまっているからです。

 つまり、この地球上の国はすべてその歴史、文化、社会的事情や発展段階が異っており、その多様性を前提として公正なるかたちで負担を分かち合う事が必要なのです。

 私は97年12月の地球温暖化防止京都会議主催国の最高責任者として京都議定書第定に尽力しましたが、その際、途上国に温暖効果ガス削減義務を課すべきか如何か、先進国間でそれぞれどれだけ痛みを伴う削減を果たすべきかが最大の争点となりました。これは、負担の公正な配分、あるいは「配分的正義」という哲学的にも深い問題です。ここで留意しなければならない事は、いくら時間と労力をついやして国際ルールを定めた所で、そのルールが国際社会のメンバーの意見を適切に汲み取っていなければ実効性のないルールに終わってしまうと言う事です。この点を特に強調したいのは、京都議定書の意味するところが「環境の器に経済を合わせる」ことに有るからです。様々な意見が出され、その採択は、京都会議開催国の私やクリントン大統領、コール首相などの先進各国の首脳の直接交渉にまでもつれ込みましたが、各国がゆづり合って最後に成果を得る事が出来ました。グローブの皆さんにも大変な御努力をいただいた会議でしたが、私は交渉の過程で、世界のリーダー達皆が、そろそろ新しい文明のあり方に沿った国際社会のルールを作らなければならない時が来た、と共通して思うに至っていることを実感しております。

 此処でもう一つ指摘したい事があります。現在グローバルな取組みやルール作りは、主として国連、特に国連環境計画(UNEP)や様々な多国間環境条約の締約国会議などの場で行われております。効果的な取組みを進めるには、こうした場所での有意義で実のある議論が何より大切ですが、現実には時間と経費をもっと有功に活用する為に改善する余地が大いにあると思います。各条約の事務局はバラバラで相互に十分な連携もなく運営されており、各条約国会議や各種専門家会合がまちまちのタイミングで様々な場所で行われております。次から次に開催される会議の対応に追われ、出席する事すらままならない状況が続けば、その結果は如何なるのでしょうか?地球環境問題への取組みは「政治的ショー」で有ってはなりません。

 冷静にすこしづつでも着実に成果をあげて行く事が何よりも大切です。例えば条約事務局の統合、連携の強化など合理化出来るところは合理化し、皆が適切に参加し運営出来るような枠組みや場を作らなければなりません。現代社会においては、環境の変化は一地域では止まりません。私は登山家でもあります。73年と88年の2回、エヴェレスト遠征にも参加しましたが、人跡稀なヒマラヤの奥地ですら、既に氷河の急速な衰退が私の目にすら明らかでした。私達には、この地球上から逃げ出す所は有りません。現代に生きる私達は、私達の文明そのものが分明の滅亡を招くことのないよう、人類の生活基盤である地球環境を守り、健全な経済社会を維持する知恵を身につけなければなりません。

 私達は、これまでの経済社会システムを大きく転換させるとともに、生物多様性を保全し、自然との共生を図る時に来ています。

 ちなみに我が日本では、1971年に環境庁を、さらに本年、この環境庁の組織を拡大し、昇格させた環境省を2001年1月からスタートさせる事を決定しました。この2回の行政組織の大変革に私は当時者、推進者として携わりました。適切な組織を持つ事は個人個人の力を組み合せ、何十倍、何百倍の仕事をする上で絶対的に必要だと言う事を私は痛感しております。

 グローブ・インターナショナルがになうべき責務は、きわめて大きいものがあります。先進各国の責務を果たそうと出発したグローブは、今や「地球規模の実行」を目指し、途上国をふくめて組織の拡大を図り、途上国のリーダー達に参加してもらえるよう行動する事が大切です。グローブの活性化の努力も欠く事は出来ません。創設グループである米国の議会メンバーの積極的な参加は特に大切です。21世紀に向けて新しい地球文明の構築に、米国のリーダーシップ、パートナーシップが不可欠な事は誰もが認める所でしょう。

 こうした思いの中、私はグローブ・カウンシルのチェアマンをお引受けする決意をいたしました。自分の出来る限りの努力を続ける覚悟ですが、皆さんのご協力を心からお願いする次第です。ご静聴、有難うございました。