ネパール最高の勲章授与される!

1999年3月26日



橋本龍太郎前首相に、ネパールのビレンドラ国王から外国人への勲章としては最高の名誉とされるゴルカ・ダクシナ・バフ(“グルカ族の強い右腕”という意味)が授与された。これは、橋本前首相が長年、ネパールの観光開発や保健衛生の向上と発展、両国の友好関係の促進に貢献してきた功績によるもの。
3月26日、ネパールにおいて、その叙勲式が行われた。


「語られ、耳を傾けるべきこと」
(1999 3/23ネパールのカンティプール紙より)

 久しぶりに、1人の高位の方がネパールを訪れる。リーダーとして政治に携わっていたため長く訪問できなかったのである。前回、G7の帰路に訪れた際は非公式訪問であった。その時ネパール政府が正式に招待などすれば、ネパールは大きな経済援助を得られたように思う。その方は、首相就任中にネパールを公式訪問したいと思っていたが、果たせなかった。彼は、首相の外交最高顧問として以前同様パワフルである。ネパールの首相が数ヶ月前に彼の国を訪問した際にも会談している。またその方は、児童の健康保健の分野に特に関心を持っている。

 今般、国王から勲章を受け取りにいらっしゃるその方は、橋本龍太郎である。我々が橋本氏をたたえる理由は、彼がネパールとヒマラヤをこよなく愛し、ネパールを第二の故郷と考えているためである。貧しく助けのないネパールの病気の子供達に彼の心は痛む。

 それは15年ほど前、私がカンティ小児病院院長を務めていた頃のことである。私は病院への日本の協力を求めるべく、橋本氏の滞在するホテルで同人と面会した。橋本氏は時間を割いて病院を訪問して下さった。現在のカンティ病院は橋本氏の貢献なくしてはあり得ない。政府レベルの協力だけでなく、橋本氏個人の協力は継続して行なわれており、同病院の橋本基金は年々拡大されている。橋本氏は同病院の30周年記念に際し、以下の言葉を贈って下さった。「私がカンティ病院を訪れたとき、その哀れな現状をいかに改善できるかを考えた。子供は、彼らの親の財産というだけでなく国家の誇りである。カンティ病院が子供と健康保健の分野で歩を進め、彼らの命を救うを望んでいる。私の協力は引き続き行われよう。」

 カンティ小児病院は、橋本氏の夢を成就せねばならない。基本サービスの質的改善には、継続的な協力が必要である。小児病院は都会だけでなく、児童の90%が暮らす過疎地でも必要である。小児保健機関の設置は、重要な役割を果たす。

 援助国の役割は、ネパールの保健分野において重要である。インドや中国の協力を受けている病院があるが、カンティ小児病院は日本政府と橋本氏個人からの協力を受けている。今次橋本氏の訪問中、対話が行われよう。もし、ネパールがこの機会を良く使うなら、小児保健機関設置に向けた日本の協力拡大に資するだろう。日本の前総理の今次訪問は、ネパールの小児保健発展の道標となろう。