スマートな反骨精神を

1999年1月10日


失われゆく創造性

 三田剣友会や体育会剣道部などを通じて、先輩の世代から僕らの世代、後輩、現代の世代と見ていると思う。それぞれきちんとしていると、思う。主務が務まる人、大舞台で慶應の看板を背負って闘えるメンバーなど、立派な人材は多い。
 だか、昔と変わったと感じるところもある。学生の就職相談を受けていると、「モノ作り」に情熱を持つ人が減ったと実感する。人が作った物を売買したり、人のお金を運用するのではなく、新しくモノを作り出す製造業に行きたがる人が減った。僕は大学卒業後、紡績会社に入り、現場の工場でスパナをもって働いたこともあったが、結構楽しんだものだ。若い世代はこうしたモノ作りの楽しみを小さい頃から知らないのかもしれない。
 自分で考えるのではなく、メディアのよって与えられる情報の中で適当なものを選択するだけ。こんな風潮も創造性の喪失を招いている。大学でも、僕らの頃は教えられたことを全部書いても、さらにプラスαしないと絶対にAをくれない先生もいたものだ。だが今はそれも少なくなった。大学教育も湘南藤沢キャンパスのように、「考えること」「生み出すこと」に重点をおくべきだろう。自分の講論が組み立てられれば、たとえ未完成であってもいいのだ。



古典から先見性養え

 こうした創造性とともにリーダーにとって必要なのが、先見性と洞察力だ。  学生時代はこれを養うために、歴史や古典など、授業以外の「無駄な本」を読んでほしい。歴史に同じ事はありえないが、共通した自分なりのポイントは見出せるはずだ。かつて有名な海上戦略家マハンは、後に日露戦争の名参謀となった若き日の秋山真之にこう助言を与えた。「戦史を片っ端から読み、その中からあなたが使いやすい共通の法則を見つけなさい。それがあなたの戦略になる」と。これは戦史に限らない。端からいろいろな本を読んで、その中から自分なりのエッセンスを残していく。これが後にリーダーとなったとき、役立つ。
 たとえば外交。1982年のフォークランド紛争のとき、日本は完全に英国を支持してはいなかった。それは日露戦争のとき、アルゼンチンが勝利の決め手となる二隻の軍艦を売ってくれたからであり、その歴史的つながりの中で、アルゼンチンに多くの移民が渡っていたからだ。こうした歴史を示したとき、英国も納得した。
 目的など考えなくていい。とにかく古典や歴史など、端から本に触れていくこと。これが自分だけの先見性、洞察力を生んでいく。
 それと、何でもいいから仕事以外で無駄話ができる趣味の分野を作ってほしいと思う。趣味が合えば、それを題材にしてはじめての人とも会話できる。僕はカメラを趣味にしているが、自分で写した日本の風景写真は、首相時代に各国首脳へのいいプレゼントになった。自分で作った物は、買った高価な品よりも嬉しいものだ。外交から日常生活まで、あらゆる場面で趣味は生きてくる。



スマートな反骨精神を

 慶應はスマートといわれるが、同時に反骨精神があることも忘れてはならない。
 かつて上野彰義隊の戦争のとき、福澤先生は砲声なり響く中でウェーランドの原典購読を続けられた。世の中の流れとまったく関係なく、自分の目指すところを追いかけられたわけだ。藩閥政治の中で慶應の「官」への道が閉ざされたときも、反骨精神を発揮して時事新報をつくり、民間に人を送り、殖産産業によって日本を立てなおしていこうとされた。しかも、「在野精紳」などと肩に力を入れず、さらっとやってしまわれた。慶應には、こういうスマートな反骨精神がある。
 僕の父は身体障害者だった。小学生のときに脊髄カリエスを患って以来、長い闘病生活の末に開成中学を卒業したものの、当時の官学は「軍事教練ができない」という理由で松葉杖の父を門前払い。そんな中で慶應は「身体障害者でも自力で行動できれば」と受験資格を与えてくれた。軍靴の音が聞こえ始めた昭和初期に、軍事教練ができない身体障害者に入試の公平なチャンスを与えたというのは大変な反骨だ。だが、これを肩ひじはらずにやった。
 今の学生も、慶應らしくオシャレでスマートであってほしい。だかそれは、肩ひじをはらない、あごを上げない反骨精神を包んでいてほしいと思う。それこそが独立自尊の伝統なのだ。

(慶應キャンパス新春特別号より)