ロシア訪問を終えて
1999年

4月23日

  四月二十三日は、私が一生忘れる事の出来ない日です。
一昨年のこの日、在ペルー日本大使公邸から人質となっていた日本人全員が無事解放されました。
その救出にあたり尊い犠牲となられた三人のペルー側関係者への哀悼の思いとともに、突然発生する危機に対応する最高責任者の心構えというものを、改めて思う日でも有ります。

 その四月二十三日、久し振りのエリツイン・ロシア大統領との会談を終って、私はモスクワから帰国しました。
「病気で心配をかけたけど、もう元気になったから夫妻で遊びに来ないか?」とのお誘いを受けて、急なロシア訪問となりましたが、エリツインご夫妻の元気な姿と心のこもった歓待も本当に嬉しいものでした。
それ以上に中身の濃い会談となった事に満足しております。

 クラスノヤルスク、川奈に続いて「東京宣言に基き、二〇〇〇年までに平和条約を」との合意も再確認し、エリツイン大統領の訪問についても「秋には」との大統領自身の発言を引き出す事が出来、ホッとしております。

 三月末にネパールを訪問、同国最高位の勲章を国王自身の手でさづけられる光栄にも浴しました。
ネパールの小児医療等に協力して来た事を評価していただいた叙勲ですが、初めは小さなスタートであったものが、今では日本医師会を先頭に多くの方々の支援をいただけるようになりました。
ネパールと日本の関係は、医学や、砂防技術、農業、さらには、柔道の指導普及など政府間だけでなく、ボランティアの方々の努力が着実に交流の根を拡げております。

 ロシアとの間も、早く平和条約を締結し、あらゆる分野でお互いの交流が拡大し、より友情の輪を広げたい、深刻なコソボ情勢を解決する為のロシアの役割の大きさをエリツイン大統領と議論しながら、一方でそんな夢を私は真剣に考えていました。