「インドへの旅を終えて」
2000年2月24日

 2月20日から22日まで、6年ぶりにインドを訪問しました。  

 タタ・エネルギー研究所創立25周年記念会合での基調講演を依頼され、これが表向きの仕事でしたが、実際には多数の方々にお目にかかりながら、98年のインドの核実験以来冷えている日印関係の改善に努める旅となりました。   

 講演はおかげさまで好評でしたが、この中身は場所をあらためて報告します。  

 実質丸2日の間に、個別に会談したのがカント副大統領、フェルナンデス国防相、シンハ蔵相、シン外相、ソニア・ガンジー・コングレス党党首、ヴェンカタラーマン元大統領、グジュラール元首相。  

 与野党の有力政治家との懇談の中で集団で御目にかかった中にも、マンモハン・シン上院野党議員団長、アルトリー情報・放送担当国務相、マネカ・ガンジー社会正義・権限付与担当国務相、ショーリー企画・計画実施・行政改革担当国務相など錚々たる顔ぶれが入っておられ、インド経済界との昼食会も盛会でした。  

 インドプレスとの懇談でも様々な質問が出されましたが、どの場面でも共通していたのは、強い親日感情と、何故核実験をしなければならないインドの立場を理解してくれないのか?と言う事でした。インドが核実験を行い、日本がこれに抗議して、人道的な支援は別として経済協力を凍結したのは私が総理在任中の事でした。  

 現在パキスタンとの間でカシミール地方の領有を巡って紛争状態が続き、先般も激しい戦闘が行われ、双方に多数の死傷者が出、今もテロが続いています。  

 繰り返し、唯一の被爆体験を有する日本として、我々が全ての国に対し核兵器廃絶を訴えている事、インドの核実験についても反対である事を繰り返し主張しても、この点の議論は平行線でした。同時に「この問題だけにとらわれて日印関係が前に進まない」と言った事にならないよう努めて行く事の必要性をあらためて痛感しました。  

 現在インドには10億人が暮らしているといわれ、その内中産階級以上が二億五千萬人位と言われています。古い慣習と、建国以来宗教的対立を抱えながら、第三世界のリーダーとして活躍するインドは、経済的にも着実な発展をとげており、今後一層世界的にその重みを増して行くであろうだけに、核開発のように日本として譲れない部分は有りますが、その他の所できちんとした協力関係を築いておく事は日本にとっても大切なことと改めて痛感しました。  

 在留邦人も様々な分野で活躍しておられ、経済関係ばかりでなく、美術や伝統音楽、伝統舞踊、幅広い交流が行われています。仏教発祥の地であるインドに改めて仏教を普及させようと努力しておられる僧侶もおられ、何となく心の温まる思いでした。