「ロシア訪問を終えて」
1999年11月19日

 11月15日日本を出発、二晩泊まりでモスクワを訪問して来ました。今のモスクワは平均気温がマイナス8〜9度。もう冬の季節です。  

モスクワにて/撮影: 橋本 龍太郎

 今回はロシア剣道連盟に招かれ、第二回全ロシア剣道大会の開催を機に、全日本剣道連盟から4人の指導者をモスクワに派遣し、講習会を開催する中で、私も参加を求められたのに応じたものです。  

 昨年、私が優勝カップを寄贈して始まった剣道大会、今年は二度目でしたが随分盛んになっていました。殆どモスクワの選手ばかりが目立った昨年とは異なり、今年は優勝はノボシビルスク、三位にもニジニ・ノブゴロドが入るなど、団体戦も個人戦も剣道の普及を反映している事が良く分ります。  

 17日には、OSCE出発直前のエリツイン大統領と20分あまりの電話会談ができた事も事前に予定されていなかっただけに、大変幸せな事でした。チェチェン問題で苦しい状況にあるエリツイン大統領の、忙しい中での電話、友情に感謝しています。  

 16日の夜には,「イズヴェスチヤ」編集長のコジョーキン氏を始め、現在ロシアの世論形成に大きな影響力を持つマスメディアのトップ,17日にはカラーシン外務次官以下の対日関係者とじっくり話が出来たことも、今選挙一色のロシアで、日ロ関係を再認識させる上で良かったと考えています。  

 ここで少し違ったロシアの報告をしたいと思います。  
 
コローメンスコエにあるライザ・ゴルバチョフさん(ゴルバチョフ元大統領夫人)のお墓参りをして来ました。ロシアの習慣だそうですが、大抵の御墓には、ブロンズや大理石、御影石に彫った胸像や、写真が墓石に彫りこまれています。  

 ライザさんの墓地にはまだ墓石は据えられておらず、供えられた花輪が色鮮やかなまま凍り付いているのが、何とも悲しみをあらわしているようでした。彼女の遺体を運ぶ為に、ゴルバチョフ氏の政敵だったエリツイン大統領が専用機を提供したとの事です。  

 しかし、それよりも印象に残ったのは、政治的迫害の犠牲者となった方々の慰霊碑を集め埋葬しているドンスコエ墓地です。ここには第二次世界大戦で日本が敗戦を迎えた時、ハルピン総領事をしておられ、レフォルト監獄で亡くなられた宮川さんと、満州国皇帝の顧問を務められ、その為に責任を問われ、矢張り消息不明の状況下、モスクワで亡くなった吉岡元陸軍中将の慰霊碑が建てられています。  

 この墓地にはロシア人ばかりでなく、ポーランド人、ハンガリー人等も合同で埋葬されており、数万人が埋葬されている事になっております。雪景色の中、シベリア抑留中亡くなられた方々の慰霊碑を挟み、並んでいる宮川総領事,吉岡中将の墓石に黙祷をささげながら、改めて戦争の悲惨さと、それを今尚繰り返している人間のおろかさを悲しく考えさせられた一瞬でした。


ドンスコエ墓地にて/撮影: 橋本 龍太郎