訪米を終えて
 
ニューヨークでテロ対策についての議論をしたいとの招待を受け、三泊四日という短い日程で、10月14日に成田からニューヨークに向けて出発し、その後ワシントンを経由して帰って来ました。
日本出発前にクリントン前米大統領から、滞在中ぜひ家に寄って欲しい、と誘われており、15日のテロの会議の前にニューヨークのクリントン家をまず訪問してきました。クリントンさんは、大統領を引いてからヒラリーさんの選挙区であるニューヨークの郊外に住んでいます。20世紀初頭に建てられた素敵な家は、辺り一面森で囲まれており、ダウンタウンのハーレムの中にあるクリントンさんのオフィスとは対照的に、とても静かな所でした。議会開会中のヒラリー上院議員はワシントンに、お嬢さんのチェルシーはイギリス留学中ということもあり、少し寂しかったのかもしれません。私の訪問をとても喜んで下さいました。私も久し振りに友人に会え、楽しい一時を過ごせたことを、嬉しく思いました。昨年9月11日、アメリカにおける同時多発テロに対応して日本は様々な行動を取り、国際社会に貢献してきたわけですが、もし、クリントン大統領と私の間で、日米安全保障共同宣言をまとめていなかったとしたら、今、どんな情況になっていただろう、あの時二人で決断しておいて本当に良かった、しみじみ二人で語り合いました。
9.11同時多発テロを受け、戦略国際問題研究所(CSIS)は、国際的指導者の見解や経験をテロとの闘いに生かし、米国政府の政策立案に役立てることを目指し「テロに関す国際評議会」を設立しました。アメリカのキッシンジャー元国務長官が議長となり、ロシアからはプリマコフ元首相、イスラエルからはバラク前首相、スペインからはゴンザレス元首相、また、元エジプト外務大臣のムーサ・アラブ連盟事務総長や元アイルランド大統領のロビンソン国連人権高等弁務官など、いずれも旧知の人々、同時にそれぞれ外交にも見識を持つ、各国を代表する政治家達が参加することになりました。そして、日本からは、私が指名され、参加することになったのです。
インドネシアのバリ島における爆破事件の直後の会議でしたので、ひどく緊張した雰囲気の中で行われました。中東和平の話が出て、もつれにもつれた会議でしたが、無差別テロの典型例としてオウム真理教の地下鉄サリン事件などに対する質問が相次ぎ、テロに対する各国の関心の強さを改めて痛感しました。
帰国してまだほとんど時間がたたないうちに、モスクワの文化宮殿劇場占拠事件が起き、過去の人質事件で最大規模の犠牲者を出す結果となりました。まったく種類の違うケースとはいえ、石井紘基衆議院議員が刺殺されるという痛ましい事件もおきています。
心から石井議員のご冥福をお祈りいたします。
テロの議論を終ると直ちにシャトルに飛び乗り、ワシントンに向かいました。翌日、16日は朝からきりきり舞いでした。まず国防総省でウォルフォヴィッツ副長官と会い、次に統合参謀本部でマイヤーズ議長、その後国家安全保障問題担当のライス大統領補佐官、最後に国務省でパウエル長官とアーミテージ副長官と会談をしました。一日を通して、それぞれの方々と様々な中身濃い議論をすることが出来ました。北朝鮮の濃縮ウランによる核開発問題、イラク情勢、中東和平に関連する事、アフガニスタンなど、厳しい話が続きましたが、アメリカ政府関係者が真剣に話し合ってくれたことに敬意を表します。
完全に日本を射程距離に収めている北朝鮮のノドンミサイルの脅威を日本はどう受け止めているのか?安全保障について日本はどれだけ真剣に考えているのか?彼らは、核開発の問題を私に説明してくれながら本当はこんな質問がしたかったのではないでしょうか?
本当にいろいろな事を考えさせられる今回の旅行でした。