ポリオ撲滅チャンピオン賞受賞にあたり
ビチャイ・ラタクル国際ロータリー会長から贈呈  

 今回,まったく予想もしたことのないポリオ撲滅運動について、国際ロータリー財団から最優秀功労賞をいただく光栄に浴すことになりました。
 「ポリオ撲滅チャンピオン賞」と名付けられた最優秀功労賞、4月17日、ビチャイ・ラタクル国際ロータリー会長から授与されましたが、なんともいえぬ感慨に,上手くお礼の言葉が出てきませんでした。
 2000年、ビル・クリントン前アメリカ大統領が大統領当時に最初に受賞、二人目はアナン国連事務総長、私が世界で3人目の受賞だとのこと,必ずしも毎年出されている賞ではありません。
 本当は長い間,ポリオ撲滅に全力で取り組んでいたのは私の母、ラタクル会長に「半分は母の功績に対していただいたような気がします」と申し上げたのは謙遜ではなく,本気でした。
 私は政治家としてお手伝いをさせていただく立場に立てたというだけのこと、母の場合は日本ユニセフ協会の役員として世界中を本当に駆け回っていました。父の没後、それまでもかかわってはおりましたもののお手伝いくらいの感覚だったユニセフの仕事に全力で取組むようになり、専務理事として世界中の子供達の幸せのために、世界を駆け回っていました。1962年から1988年まで彼女の人生は日本ユニセフ協会の歩みそのものと申しても何処からもお叱りを受ける事はないと、息子としてその母を誇りに思っています。
 ポリオ撲滅は当然のことながら母の大きな目標の一つでした。
 私も政治家として,母の仕事の手伝いを始め、今日も続けています。

 ポリオはわが国においても1961年(昭36)までは毎年1,000人以上の新規患者が発生し、死亡者も100人以上でした。
 特に1960年(昭35)には全国で5,600人を超える大流行があり、多くの麻痺患者が発生しました。しかし1961年、経口生ポリオワクチンが導入され患者は激減,3年後には100人を下回るようになったと資料に残されています。
 1988年、WHOは世界レベルのポリオ根絶計画をスタートさせました。その計画の骨子は徹底した生ワクチンの投与を柱にしています。その結果、1994年にはアメリカ地域で、2000年には西太平洋地域、2002年6月にはヨーロッパ地域で,夫々地域レベルで根絶宣言が出されました。
 しかし世界レベルでは根絶には程遠く、アフリカ地域では2001年10カ国で約500人くらいの患者発生が報告されていますし、特に2002年には報告患者数が北インドで急増したことなど、まだまだ粘り強い努力を続けて行かなければなりません。
 今,振り返ってみると私の父が厚生大臣の頃はポリオが流行期の最中でした。小児麻痺と当時呼ばれていたように子供の患者が多い事から,その子供達の教育も大問題でした。

 ポリオについては、亡父との間に今でも忘れられない強烈な想い出があります。私の父は小学生の時,結核性腰椎カリエスという難病に罹り、11年の闘病生活の後,退院した時には左足が右に比べ4センチくらい短く,杖がなければ動けない身体になっていました。その父親が閣僚を辞めた直後の大学4年生の夏休み(昭34)、東北地方視察の折、アルバイトくらいの軽い気持ちで秘書として同行した途中、秋田県でまだ全国的に多くの患者を出していたポリオのお子さん達の施設に立ち寄った事があります。
 県側と相談して作った視察日程では、全施設をサット見て、すぐ夕食の会場に行くことになっていました。
 ところが視察を始めた父が中々動きません。その内に施設長さんが「子供達に何か話をしてください。ベッドの上の子供達も皆集会室に集めますので。」、「喜んで話させてもらいます。」県庁の案内役の方が,「秘書さん,夕食会に遅れてしまいます,もう出発していただかないと。」
 ,まずいなとは思ったのですが父にそっと耳打ちをした途端「馬鹿!」と大雷、夕食会など止めてしまえ!飯など何処でも食える,此処の給食を食べさせてもらえば良い!、案の定大爆発です。県庁には了解を求めて時間を変更してもらい、ようやくご機嫌は直してもらったんですが、そのとき彼が入院中のポリオの子供達に話した中身は物凄いものでした。
 施設長さんの父を紹介の言葉も「君たちと同じような年齢のころ難病と11年間戦い続け、この間まで文部大臣,厚生大臣をしていた方、闘病生活の経験者だからお話を聞きましょう。」
 「君達はおじさんに比べて幸せなんだよ、おじさんが君たちと同じ年頃で入院していた頃、大人ばかりの中にぽつんと一人寝かされていた。君たちは確かに病気だが先生方も看護婦さんや職員の方々も君たちを治すために皆力を合わせてくださっている。しかも病院だけではなく此処には学校も一緒に作ってある。おじさんは一人で勉強するしかなかった,判らないところを教えて欲しくても周りには誰もいなかった、君たちは回りに友達もいる、教室に行けなくても寝ている君達の病室まで先生が来て下さる。だから君達は幸せなんだよ、判るだろう。」
 子供達の顔が輝きました。「だから泣いてばかりいては駄目!お医者さんや先生のお話を良く聞いて絶対に治るって頑張ってください。おじさんも君たちが早く良くなるように祈っていますから。」
 話が終った時、凄い拍手でした。幼い頃の話をしたがらなかった父が、本気で闘病中の話をしたのはこのときが初めてでした。私も思わず拍手していました。凄かったのは子供達が父の手を握って離さない姿でした。ベッドの上で身動きすらままならない子供が一生懸命父の上着の裾を掴んで、父が振り向いてその子に笑顔を向けるまで離さなかった姿も見ました。患者の顔には満面の笑み、父も笑顔を作ってはいましたがその目は涙で溢れていました。職員の方々の多くも泣いておられたように思います。
 ただ単に施設の視察だけをしたかったわけではなかった父の気持ちにまったく気付いていなかった自分がその時、酷く惨めでした。

 あるいは私が知らなかっただけで、母にも父の思いを共有できるような何かが有ったのかもしれません,父が元気な頃は,ユニセフにかかわっているといっても,表立つ事はむしろ避けていた母が何時の間にかポリオ撲滅にせよ,途上国での井戸掘りにせよ本当に凄みのある仕事をするようになっていました。
 今回,ポリオ撲滅チャンピオン賞をいただき,本当に母と一緒に頂戴したような思いと申したのは不正確で、もしかすると父と母と3人、橋本家ぐるみ、力を合わせてで戴いたのかもしれません。
 国際ロータリー財団の皆さん、あらためて,本当に有難うございました,心から光栄に思います。


ビチャイ・ラタクル国際ロータリー会長・
茂木外務副大臣・服部和光会長等との会談