日本国際貿易促進協会第31回訪中団団長として
訪中を終えて

(平成16年4月18日〜21日)
「国際反テロ情勢および反テロ協力」
シンポジュウム参加
(平成16年5月10日〜12日)
 4月18日〜21日、5月10日〜12日、連続して北京を訪問してきました。4月は日本国際貿易促進協会会長として経済界の方々とご一緒に、5月は人民解放軍のシンクタンクである中国国際戦略学会の主催する「国際反テロ情勢および反テロ協力」についてのシンポジュームに参加するためでした。
 今年は日本国際貿易促進協会創立50周年に当たることもあり、「共同して日中経済協力を新段階に」と題する記念講演もさせていただきましたが、非常に真剣に聞いていただいたことに感謝しています。
 ちょうど北京滞在中に中国水フォーラム2004(中華全国青年連合会主催)が開催され、昨年開かれた第3回世界水フォーラム運営委員会会長として簡単な講演をさせていただくチャンスにも恵まれました。
 第4回世界水フォーラムは2006年にメキシコで開かれますが、そのキックオフミーティングが終わったばかりであったことも幸いし、良い議論が出来ました。4月の訪中では温家宝首相、万季飛中国国際貿易促進協会長、宗健中日友好協会会長また5月の訪中では賈慶林政治協商会議主席など旧知の要人たちともゆっくり遠慮なく話し合える時間が持てたことは幸いでした。今回はっきりと目立ったことは、日本側から中国側首脳の訪日を招請させ、その言葉に対する返答の中に小泉総理の靖国神社参拝に対する中国政府の反対論を埋め込もうとする手法でした。首脳が交流できる状況を作り出すのは日本側の責任だということです。現に、私の直前北京を訪問された川口外務大臣に対しては、まさにその通りの対応を中国側は示しています。
人民大会堂にて会談風景 温家宝首相との会談
宗健中日友好協会会長との会談 賈慶林政治協商会議主席との会談
 私に対しては温家宝首相が過去の歴史認識について触れ始めたものの「どこの国も歴史に学ぶことは大事。お国の古典は本当に面白い、三国志など、わが国でもずいぶん読まれている」とかわしてこと無きを得ました。
 問題だと思ったのは宋健氏の話の中で、日仏間で誘致合戦になっている核融合関連施設に関連し、「中国が日本の予定地について、地震の問題を理由にフランスのほうが良い」としたのは、それが本当の問題ではなく、科学者たちの間に小泉靖国参拝に対し燃え上がる怒りの声を無視することが出来なかったから、我々は民主的な政府として、国民の声を無視することは出来ない」という言葉が出てきたことです。咄嗟に「科学者にあるまじき非科学的な話、そういう理屈は我々政治家にこそ許される言い方だ。第一フランスの予定地も過去地震に襲われたことがある。」と押し返しましたが、「ロシアも我々の働きかけによってフランス支持になっている。」と、主張を変えません。宋健という人は、本来非常に穏やかな方で、こんなものの言い方をする人ではありませんが、副会長クラスに突き上げられ、言わされているのが見え見え、後味の悪いひと時でした。
 現在中国の新政権は東北振興を新たな大きな政治課題として打ち出しています。
オリンピックに沸く北京、愛知万博に続く上海万博、これらに関連して公共投資のエネルギーは抑えようがない感じで、世界的な原材料価格の高騰をもたらしています。鉄鉱石、石炭、一部レアメタル、原油も中東情勢が大きいものの中国の調達が当然影響していますが、この状況の中で、東北振興がどのような道筋をたどるのかを、今、私は注視しています。

 この北京訪問は、ちょうど全日程が北朝鮮の金正日総書記の北京訪問と重なり、いろいろ考えさせられる旅でした。
 出発直前、急に日程の一部がゆれ始め、何かがあるなと思わせる雰囲気になりました。
 4月の国貿促としての訪中の際、人民解放軍副総参謀長の熊光楷上将から朝食に誘われました。当初5月に行われるシンポジュームの打ち合わせ会でしたが人民解放軍関係の日程の一部に外交部(外務省)が割り込んできました。唐家セン国務委員、外交部の王毅次官などです。王毅さんは北朝鮮を巡る六カ国協議の議長役としてこの頃日本でも有名になっていますが、この二人は日本人以上に日本語も上手、知日派の外交官たちです。そのころには金正日が北京に来るらしいという噂が広がり始めていましたが、日程が変わった理由はそれ以外にないと思い、唐家旋さんに「難しい人が来るな、準備も大変だろう?」と問いかけると、「全部終わるまで一切公表はしないことになっている」とすまなそうな顔をされ、これが彼らの示せる最大限の情報提供なんだと知りました。確かに金総書記が中国に滞在している間は、中国のマスコミには一言半句も報道されなかったことは事実です。
 しかし、ある瞬間からあっという間に北京市内が公安警察だらけになったこと、
今では珍しくなっている中国製の高級車"紅旗"が4台固まって車列を組み、道路の片側を完全に交通を止めてしまったことなどを見ていると、割合急に決まった訪中のような感じがしました。
 中国の迎賓館は"釣魚台"と言います。中央に人口の池のある美しい施設ですが、私が記念講演した国際貿易促進協会の式典もこの"釣魚台"の大会議室を使って行なわれました。可笑しかったのはこの式典の終わり、屋外に出てみるとちょうど池を隔てた反対側の建物に金総書記が宿泊、ものすごい警備が行なわれていたことです。写真を写したいと思ってもどこかに必ず考案の制服か北朝鮮の警備員の険しい表情が入ってしまう、とうとう写真が趣味の私もなんとなく怖くなりほとんどシャッターを切れませんでした。
釣魚台にて
 その帰路、金総書記は大爆発に遭遇したのですが、そのころには北京の市街は普段の北京に戻っていました。

 それだけに5月に行われました国際戦略学会主催のテロをテーマとするシンポジュームは興味津々でしたが、後で反省したのは各国の参加者がその道のプロばかり、基調講演で総論をまとめる役でしたから何とか恥をかかずに済みましたが、日本からも専門家を送ったほうが良かったのではないかということです。多くの参加者が聞きたがったのが"地下鉄サリン事件"をはじめとするオームの行動でしたが、たまたま閣僚としてあの事件に関わったことから何とか一般論としての答えはしてきましたが、ちょっと冷や汗ものでした。この点は他の国でテロを議論していてもオームの問題を教えて欲しいという声は出てきます。いろいろ考えさせられるシンポジューム参加の旅でした。

熊光楷人民解放軍副総参謀長と
シンポジュウム参加者と