APFED(アジア太平洋環境開発フォーラム)専門家会合を終えて
〜パラオ共和国〜平成16年1月15日〜18日

 新年初めての海外出張、1月15日から18日までパラオ共和国で開催されたAPFED(アジア太平洋環境開発フォーラム)専門家会合出席のため首都のコロールを訪問してきました。

    
APFEDアジア太平洋環境開発フォーラム専門家会合
 パラオ共和国はミクロネシア、西カロリン諸島最西端に位置し、343の島からなる人口18,000人の国です。

パラオ共和国の沖合いにて
 第一次世界大戦の後、ドイツ領ミクロネシアを日本が無血占領し、そのまま第二次世界大戦終結まで日本が国際連盟の下で委任統治を続けていました。当時日本政府は南洋庁を設置し、資源開発も熱心に行なったと聞いています。第二次世界大戦中、これらの島々は日米間の激戦地となり、ぺリリュウ島、アンガウル島など戦史にその名を留めています。
 ぺリリュウ島にはパラオ諸島とその周辺海域で戦没されたすべての方々の霊を慰めるため、慰霊碑が建立されています。日本からの定期便(直行便)の無い日でしたので、グアム島、ヤップ島を経由し、乗り継いでコロールに到着しました。グアムには南太平洋戦没者慰霊協会が建立した慰霊碑があります。この慰霊碑の除幕式は私にとって2度目の日本政府代表を務めた式典でした。厚生政務次官の時の事です。乗り継ぎの時間がありましたので慰霊碑に参拝してきました。私が行くということを知り、地元の方が草を刈り、掃除をしてくださっていました。在留邦人のお一人が中心となって守ってくださっているようです。小畑司令官が最後を遂げられた洞窟の周りもきれいに整理されていました。ヤップ島は空港のみ、しかも機内から外に出られなかったのですが、ここも戦史に名をとどめている島です。

南太平洋戦没者慰霊碑 洞窟の風景
説明書き
 パラオでは、旧知のレメンゲサウ大統領と会談、引き続きAPFED専門家会合を開会しました。会場のパラオ国際珊瑚礁センターは日本の援助で作られたもの、美しい展示物が目を引きます。

レメンゲサウ大統領との会談風景
 今回の会合の目的は、このパラオを含む太平洋島嶼国が有する自然環境をいかにして開発可能な環境保護の路線にきちんと位置付けるかが最大のテーマでした。太平洋島嶼国は世界で最も美しい、しかし壊れやすく脆弱なサンゴ礁などの生態系を有しています。これらの自然環境は気候変動の影響を受けやすく、海面上昇が続けば国土の保全すら危ういものとなる現地の生の声をAPFEDの最終報告の中にいかにして取り入れるか、現地で直に聞かせていただくことが主目的でした。

APFED専門家会合での挨拶 集合写真
 会議の進行と取りまとめは、これも旧知のナカムラ前大統領にお願いしましたが、印象に残ったのは、サンゴ礁など貴重な自然環境がこの国の財産であり、環境と開発を両立させ、持続的発展を推進することがこの国の国是となっていること。にもかかわらず、温暖化や陸域からの土壌の流失により、貴重なサンゴ礁が甚大な被害を受けつつあること。陸域の生態系も外来種の侵入により大きく影響を受けつつあることです。
 さらに、廃棄物の海洋投棄、漁船からの廃油の投入により海洋が汚染されつつある状況などの諸点でした。外来種の侵入による本来の生態系への影響は、日本自身現在悩んでおり、環境省がようやく立ち上がろうとしているところですし、土壌の流失がサンゴ礁に与える影響の大きさは、以前から沖縄県で私たち自身苦しんでいる問題です。こうした問題の深刻さを改めて現地の言葉で聞くことが出来たことは今後の議論を進めるにあたってよい勉強をさせていただきました。
  会議に参加している方々のご了解を得て、途中抜けさせていただき、ぺリリュウ島に建立されている西太平洋戦没者の碑に参拝させていただきました。この慰霊碑はぺリリュウ島の最南端に位置し、沖合いにもう一つの激戦地であるアンガウル島を望むことが出来ます。ジャングルの中をしばらく車で走ると突然海が見え、きれいに掃除していただいている慰霊碑が現れます。周辺は公園として整備されています。


   
 
西太平洋戦没者慰霊碑

 
 島内には司令官であった中川大佐の顕彰碑を始め多くの慰霊碑があり、旧日本軍の大砲、破壊された日米両軍の戦車など往時を偲ばせるものも大切に守られています。

 日本軍司令部跡、洞窟陣地、それぞれなんともいえない思いで頭を下げて来ました。

 コロール島には第二次世界大戦以前から日本人がこの地で活躍していた証のような、白蝶貝採取業殉職者慰霊碑もあります。白蝶貝は男性の高級ワイシャツのボタンなどに重用されていました。このサクラ会墓地には多くの慰霊碑が建立されており、日系パラオ人の親睦団体"パラオさくら会"の方々とパラオ日本人会の皆さんが定期的に清掃を行なって下さっています。

さくら会墓地

 バベルタオブ島では本当に悲しい光景にも出会いました。旧日本軍関連の建物の外壁だけが残っている場所があります。外壁には艦砲射撃の弾痕がはっきりといくつも残っています。建物の前には連装機関銃、戦車が赤錆びています。元通信司令部跡とも自家発電基地とも、誰に聞いても旧日本軍関連の建物だというが、今では正確なことはもう誰にも分からなくなっています。中を覗くと天井に達するくらい大量の不法投棄された粗大ごみの山、案内してくれたレメンゲサウ大統領の秘書官が「あなた方の一行が来ると聞いて片付けたかったけれど、機械もないし、島の中にこれだけのごみを他に捨てる場所がないんです、ごめんなさい。」としきりに謝ってくれましたが、胸の詰まるような、本当に悲しい思いでその場を去りました。聞くと、日本にODAで廃棄物処理の協力を要請しているが取り上げてもらえないとのこと。
 グアム、サイパン、ミクロネシア、パラオが一緒に処理をし、リサイクル可能な廃棄物はグアム、焼却埋め立ての廃棄物はパラオ、そんな相談もお互いの間では進んでいるとのこと。会議の内容も、グアム、ペリリュウ、コロール、それぞれの墓地、慰霊碑が地元の方々の手で大切に管理されているのを本当に感謝しながら参拝を続けた旅であっただけに、艦砲射撃の弾痕を壁に残し不法投棄の廃棄物に埋もれた建物の姿が、私の心に大きく傷を残した結果となりました。