日中友好条約締結25周年訪中を終えて
平成15年8月8日〜8月10日
胡錦濤国家主席との会談(人民大会堂)
 
王毅外務次官との久々の再開
(人民大会堂にて)
  会見風景 胡錦濤国家主席・
唐家セン国務委員・村山元総理・
福田官房長官
     
8月8日の午前中に人間ドックを終わり、その午後北京に飛びました。日中友好条約締結25周年祝賀行事に参加するための訪中です。
人間ドックもたいした問題もなく、ほっとした気持ちでの旅でした。 私は国貿促会長としての招待を受けたのですが、村山元総理他多くの方々が招かれての行事参加でした。特に中国側が重きを置いたのは、25年前、条約を締結した当時の福田総理、園田外相のご子息を招待し、この招待を日中両国の将来につなげ、首脳の交流のとまっている両国関係をこれを機に改善に持ってゆきたいということだと思います。その表れのひとつがその当時の中国の外交部長(日本流に言うなら外相)の黄華さんも同時に招いていたことです。ただ福田官房長官を迎えるというのではなく、今回の訪中で中国側の心を汲み取ってもらいたい、そんな感じのする接遇でした。
私にとっては今回の旅行は、まず新型肺炎のおかげで今年の春から停滞している両国の経済関係を動かすことから始まりました。
中国国際貿易促進協会の万季飛会長と昼食を挟んでじっくり論議を交わすことができました。
その後が、中国のTV による単独インタヴュー。さまざまな質問が次々と出てきましたが、その中で靖国神社についての質問が出たのには驚きました。
今まで同じようなチャンスが有ったときも彼らが避けたテーマでしたから。
「私の小学校一年生のときの先生、私のおじの一人、私の一番年長のいとこ、皆私の頭をなでながら"戦死したら靖国神社に帰ってくるから、逢いに来てくれよ"そう言って皆帰ってこなかった。その人々との約束を私は果たし続けている。自分の心の中の思いは誰の指図も受けるものではありません」と答えましたが、それ以上に議論にはなりませんでしたが、新しい指導部ができて、この問題に対する中国側の姿勢に変化が出るのではないかといった一部の期待に水を掛ける状況であったことは確かです。
胡錦涛主席との会見は、予想をはるかに超える真剣なものとなり、嬉しい驚きでした。日本側からは福田官房長官、村山元総理、私の三人がそれぞれ議論に参加しました。
私から新型肺炎に対するお見舞いを述べ、そこから北朝鮮の核、拉致問題に対する日本の立場を表明するとともに中国の協力を要請しましたが、言葉は慎重でしたが真剣に当方の話を聞く姿勢に好感を持ったのも事実です。私が総理時代に官邸で迎えたお客様の一人、そんな思い出でも話は弾みました。
呉邦国全人代委員長は初対面でしたが、青函トンネルに興味を持っておられ、私が運輸大臣としてレール締結をやったんですと話したところから、すっかり雰囲気がほぐれ、今、日中間での懸案のひとつである北京ー上海間の新幹線問題も自然な流れで議論ができたことは収穫でした。
祝賀行事が全部終了してから、旧友の人民解放軍副総参謀長、熊光楷将軍に中国流のお茶の飲み方を教えてもらい、今回の駆け足中国訪問は終わりました。
会見風景 呉邦国全人代議長・日本議員団
 
会見風景 
呉邦国全人代議長・日本議員団
  熊光楷副参謀総長と
(菖蒲公園内の茶店にて)
日中友好条約締結25周年記念レセプション(人民大会堂にて)