アメリカ、中国の旅を終えて
2000年11月7日

 10月22日成田を出発、ニューヨークで22,23の両日を過ごし、24日ニューヨークを出発、成田で大急ぎで服を着替え、25日の夜には上海に、26日の夕方に北京に移動、28日夜成田に帰着と言うあわただしい旅をして来ました。

 マサチューセッツ工科大学の学生諸君と逢ったり、慶應ニューヨーク学院の生徒達との交流の時間を持ったり、ニューヨークでも色々な事が有りましたが、一時期に比べ、街がきれいになり、治安も良くなったとの事です。様々な点でのマサチューセッツ工科大学の諸君のやる気、迫力を感じましたが、今回は主として中国の報告をしたいと思います。

 今回の中国訪問は、民間の立場での安全保障対話を中国人民解放軍との間に確立するのが目的でした。

 日本のNPOが窓口となり、毎年2,30人の人民解放軍の佐官クラスを日本に招待し、彼らの見たいところを見てもらい、自衛隊の同じクラスの諸君と議論もしてもらう、そして日本の実態を知ってもらう、それがねらいです。人民解放軍も積極的に応じてくれ、江沢民首席も大きく評価してくれましたので、第一回のグループを来春には迎えることになるでしょう。

 総理時代、中国との間に防衛交流、対話の少ないのが気になり積極的に進めた結果、防衛庁長官と国防部長、統幕議長と参謀総長、次官級など上層部の交流はスタートさせたものの、その輪が中々広がらないことに私は懸念を抱いていました。

 幸い同じような問題意識をもつ方々の協力で、ようやく軌道に乗りかけ、ホッとしております。

  上海では、中国の造船所で自力で設計、建造された2、000トンクラスのフリゲート艦 を見学しました。揚子江などの大きな河川を相当さかのぼった所にある港を利用するためか、艦の大きさに比して喫水の浅いことが目につきました。上海にはフリゲート艦の他に 掃海艇、揚陸艦などが配属されているとの事です。フリゲート艦の後甲板にはヘリコプター1機が搭載できるようになっていましたが 実機はなく、普段は陸上の基地に配備されているとの説明でした。

 北京に移動してから、陸軍第196旅団を視察しました。この旅団はつい最近まで師団でしたが、現在人民解放軍が兵員の定数を減らし、その分装備の近代化に力を入れている中、旅団に改編されたとの事です。今日本でも陸上自衛隊の一部の師団を同じような理由で旅団に改編しており、何処でも人間の考える事は変わらないと一人苦笑いを浮かべました。

  1937年、日中戦争のため生まれた部隊で偶然私と同い年、ちょっと複雑な気分でした。

 朝鮮戦争の時、一番最初に38度線を突破して表彰を受けたとの事。歴戦の部隊です。 牽引式の100ミリ対戦車砲を中心に、コンパクトに纏められた部隊でした。

 演習も見学しましたが、訓練は充分、士気も高いと感じました。ここでもヘリコプターや航空機の姿はなく、協同訓練の機会も多くはなさそうです。聞いても口を濁してはっきり言いません。旅団長に我々が提案している招待プログラムを話したら、「是非自分も参加させて欲しい」と目を輝かせました。

 最後に江沢民首席と久しぶりに会談しましたが、人民解放軍とともに一昨年夏の大洪水を防いだ体験を、感慨深げに語っておられた のが印象的でした。